レクイエム (アフマートヴァ)とは? わかりやすく解説

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レクイエム (アフマートヴァ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/12 10:18 UTC 版)

レクイエム』(Реквием)はアンナ・アフマートヴァ(1889-1966)の代表作の一つ。夫と息子の逮捕、収容所送りを題材としている。

最初に書かれた詩は1935年、最後に書かれたエピグラフは1961年の作である。彼女はこれを発表できるとは、1962年まで考えていなかった。しかし「雪どけ」時代にドイツで出版され、ペレストロイカ時代にソ連国内でも出版された。

背景

1917-1922年 ロシア革命ロシア内戦
  • アフマートヴァは第3-5詩集として1917年『白い群れ』1921年『おおばこ』1922年『主の年1921年』を発表。
  • 1921年 元夫である詩人ニコライ・グミリョフが、反革命罪で銃殺された。
  • 1922年 作家エヴゲーニイ・ザミャーチン逮捕、同年釈放(1931年国外移住、1937年フランスで死)
1922年 ソビエト連邦樹立
  • 1925年 党中央委員会決議でアフマートワの詩は反革命的とされ、以後発表できず。
  • 1925年 詩人セルゲイ・エセーニン自殺
1928-1937年 第一次・第二次五カ年計画農業集団化
1939-1945年 第二次世界大戦

作成経過

作成途中の原稿はすべて廃棄された。

アフマートヴァの年下の友人、リディヤ・チュコフスカヤロシア語版(文学者コルネイ・チュコフスキーの娘)の『アンナ・アフマートヴァ覚書ロシア語版』の序文には、次のような経過が書かれている。 (木下晴世訳[2]

アンナ・アンドレーエヴナ[アフマートワ]はうちに来るとやはり囁き声で『レクイエム』の詩を読んでくれたが、噴水邸の自分の部屋では囁くことさえためらった。 突然話の最中に黙り込むと、私にむかって天井と壁に目配せして紙切れと鉛筆をもつ。それから大きな声で「お茶は要りませんか?」とか「とてもお疲れのようね」と当たり障りのないことを言って、それから紙に走り書きをして、私に差し出す。詩を読んで記憶すると、私は黙って彼女に返す。「漸く秋になりましたね」と大きな声でアンナ・アンドレーエヴナが言い、マッチを擦って灰皿で紙を燃やす。それは手とマッチと灰皿がおこなう儀式、美しく痛ましい儀式だった。

構成

詩題は木下訳による。

エピグラフ 1961年
序にかえて 1957年4月1日 レニングラード
献辞 1940年3月
序曲 1940年1月31日
1 1935年
2 1938年
3 1939年
4 1938年
5 1939年
6 1939年
7 宣告 1939年夏
8 死に向って 1939年8月19日 噴水邸ロシア語版[注 2]
9 1940年5月4日 噴水邸
10 磔刑 I 1938年
    II 1939年
エピローグ I
      II 1940年3月10日頃 噴水邸

Wikilivresには記事に関連する原文があります Анна Андреевна Ахматова

最初の詩

第1歌

あなたは夜明けに連れ去られた、 そのあとを私は出棺のようについていった、 暗い部屋で子供たちが泣いていた。 神棚ではろうそくがとけて流れた。 あなたのくちびるには聖像の冷たさ。 ひたいには死の汗・・・忘れられない! - 私は狙撃兵[注 3]の妻のように、 クレムリンの塔の下で泣きわめくだろう。

1935年

(武藤洋二訳) (武藤による「鎮魂歌」全訳はネットに公開されている [3]

アフマートヴァ生前の、ソ連国内での発表

第二次世界大戦中は、国家の愛国宣伝のために、言論統制がややゆるんだ。アフマートヴァも一時的に詩の発表を許された。以下は主に木下 [2]による。

  • 『レクイエム』の第7歌は1940年の雑誌『星』に発表された。(ただし詩の題は隠した。)
  • 第9歌の前半は1943年にタシケントでの『作品集』に発表された。
  • 第1歌はリガの、第2歌は1943年のベルリンのロシア語新聞に、戦争中に発表されたという[注 4]

1946年のジダーノフ批判により、アフマートヴァはまた詩作発表できなくなったが、1956年のスターリン批判で、アフマートヴァも名誉回復され、1958年から彼女の詩集がまた発刊されるようになった。

  • アフマートヴァ生前最後の詩集、『時の疾走』(1965年)内に、第10歌の後半が収録された。

『レクイエム』全体の出版経緯

木下の解説 [2]などによる。

  • 1962年まで『レクイエム』は、書かれた原稿はなく、作者と親しい11人が記憶しているのみだった。
  • 1962年11月 アレクサンドル・ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』が『新世界』に発表された。
  • 1963年1月 アフマートヴァも『レクイエム』のタイプ原稿を作成し、『新世界』に提出したが、受理されなかった。それで彼女は多数のタイプ原稿を作り、知人たちにばらまき、地下出版(サミズダート)状態になった。
  • 1963年中にモスクワのアメリカ大使館の外交官郵便で、カリフォルニア大のグレーブ・ストルーヴェ英語版が原稿を入手。「在外作家協会」の名義で、ミュンヘンで出版した[5]
    • 当時外国人がアフマートヴァと連絡をとることは困難だった。この本の表紙の裏、作者肖像画の前のページに「この連作詩は、われわれがロシアから受け取り、作者に断りなく印刷された。」と注記されている。
    • アフマートヴァもこの本の寄贈を受けた。1964年に連絡係をした Amanda Haight[注 5] への彼女の唯一のコメントは「(サヴェリー・ソリンロシア語版による1913年の)肖像画があまりに陰気です」だった[4][注 6]
  • 1965年、英仏へ行った時、薦められて『レクイエム』を自ら朗読し録音。これは西側で保存された。(2012年以後、YouTubeで聞く事ができる。)
  • 1965年秋、「レクイエム」は、発表作をほぼ網羅したボリス・フィリポスロシア語版編の『アンナ・アフマートヴァ作品集』(ミュンヘン)[6]に、本人の校訂下に収載された[注 7]
  • ソ連ではアフマートヴァ死後の1987年に、ゾーヤ・トマシェフスカヤロシア語版所蔵版が『十月』3月号に、リディヤ・チュコフスカヤロシア語版所蔵版が『ネヴァ』6月号に発表された。

日本語訳

  • 江川卓訳 「鎮魂歌」『世界文学全集35 現代詩集』 集英社 1968 ※『世界の文学37 現代詩集』集英社 1979 に再録
  • 野崎真立訳 『鎮魂歌 短歌世代シリーズ16』 シンキョウ社出版部 1973
  • 安井侑子 『ペテルブルグ悲歌』 中央公論社 1989 pp.200,213-232 ※献辞、序曲、第4、6、8、9歌の訳が一部省略されている。
  • 武藤洋二 『詩の運命』 新樹社 1989 pp.164-191
  • 草鹿外吉訳 「レクイエム 1935-1940年」『世界現代詩文庫18 現代ロシア詩集』 土曜美術社 1991
  • 木下晴世編訳 『レクイエム』 群像社 2017 [注 8]

脚注

注釈

  1. ^ アフマートヴァは内縁の妻であり、プーニンの先妻も、一つ屋根の下に同居していた(工藤[1]、p.195)。アフマートヴァはその後も30年近くプーニンの先妻一家と助け合って暮らした。
  2. ^ 噴水邸とは、1750年に旧ロシアのシェレメチェフロシア語版伯爵が建てた屋敷。当時はアフマートヴァが住む共同住宅になっていた。現在は音楽博物館。リチェニ通りに面した東館の一部は、1989年からアンナ・アフマートヴァ文学記念館ロシア語版になっている。
  3. ^ ピョートル大帝によって処刑されたモスクワ公国の狙撃兵たち。
  4. ^ 1965年のアフマートヴァ作品集の編者ボリス・フィリポスロシア語版による [4]
  5. ^ 彼女は1976年に外国人による初の本格的評伝 "Anna Akhmatova. A Poetic Pilgrimage" Oxford University Press を出版している。
  6. ^ 詳しいコメントをして当局に知られることを恐れていたのだろうか。
  7. ^ この6月、アフマートヴァが英仏へ行った時、ストルーヴェもアメリカから来て、会って校訂をした。1963年のミュンヘン版との異同については武藤が解説している[3]。エピグラフ、序曲、第1歌、第5歌、エピローグにわずかな違いがある。
  8. ^ 底本は2000年のカラリョーヴァ編アフマートヴァ作品集。1960年代の国外出版本を底本としたそれまでの訳書と、第5歌、第10歌のエピグラフ、エピローグII がわずかに異なる。

出典

  1. ^ 工藤正廣訳 『夕べ』未知谷 2009
  2. ^ a b c 木下晴世編訳 『レクイエム』 群像社 2017
  3. ^ a b 武藤洋二「『鎮魂歌』注解(連作第四部)」『大阪外国語大学学報』第71巻1-3、大阪外国語大学、1986年3月、 111-129頁、 ISSN 04721411
  4. ^ a b ≪Реквием≫ Ахматовой в тамиздате. 56 писем
  5. ^ Анна Ахматова, "Реквием" Товарищество Зарубежных Писателей, Мюнхен, 1963.
  6. ^ Анна Ахматова, "Сочинения" Мюнхен, Международное литературное содружество, 1965.



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