ルイ・イジドール・デュプレとは? わかりやすく解説

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ルイ・イジドール・デュプレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/13 07:24 UTC 版)

ルイ・イジドール・デュプレ

ルイ・イジドール・デュプレ(Louis Isidore Duperrey、1786年10月22日 - 1865年8月25日)はフランスの海軍士官、探検家である。1822年から1825年の間に行われたコキーユ号(La Coquille)の探検航海の船長を務めた[1]

略歴

パリで生まれた。1803年に16歳でフランス海軍に入った。ナポレオン戦争ではバルカン方面などで戦い、1811年にイタリア、トスカーナ沿岸の水路測量の任務についた。1817年から1820年の間に行われたルイ・ド・フレシネが率いたウラニー号(Uranie)の世界周航探検航海に海洋測量隊員として参加しサン=ルイ勲章を受勲した。1821年に大尉に昇進した。

ウラニー号に続く世界探検航海が計画され、デュプレがコキーユ号(La Coquille)の船長に選ばれ、副官はジュール・デュモン・デュルヴィルが務めた。56人の隊員が選ばれ、博物隊員は軍人の中から選ばれ、デュルヴィルが植物学と昆虫学分野、船医のプロスペル・ガルノーと薬剤師のルネ=プリムヴェール・レッソンが動物学分野、デュプレは、物理学、水路学の分野を担当した。

1822年8月11日にトゥーロンを出発し454日の航海で、チリペルーの海岸、太平洋の島、ニュージーランドニューギニアオーストラリアフォークランド諸島で多くの博物学的標本を収集して帰還した[2]。1926年にコキーユ号はアストロラブ号と改名され(太平洋の探検航海を行った後、行方不明となったラ・ペルーズ伯の艦隊の船の船名を引き継いた)デュルヴィルが船長となってニュージーランドの測量航海を行った。

コキーユ号の探検航海の成果は"Voyage autour du monde exécuté par la corvette la Coquille"として出版された。

Voyage autour du mondeの図版

参考文献

  1. ^ Annales maritimes, tome 25-1825, volume 1, p. 437
  2. ^ Jacques Bonvallot, Les Atolls des Tuamotu par éditions de l'IRD, 1994, ISBN 9782709911757, [lire en ligne], p. 277.



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