ルイ・エティエンヌ・ワトレとは? わかりやすく解説

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ルイ・エティエンヌ・ワトレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/12 06:46 UTC 版)

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ルイ・エティエンヌ・ワトレ
Louis Étienne Watelet
J.M.N. Frémyによる肖像画
生誕 1780年8月25日
フランス,パリ
死没 1866年6月21日
フランス,パリ

ルイ・エティエンヌ・ワトレ(Louis Étienne Watelet、1780年8月25日 - 1866年6月21日)はフランスの風景画家である。

略歴

ナポレオンのルートヴィヒスブルク訪問

パリで商人の息子に生まれた。ワトレは独学の画家とされ、同時代の画家、シャルル・ガベ(Charles Gabet:1793-1861)によれば、「自然と、芸術への愛以外に絵の師はいない」とワトレは語ったとされる。それでも18世紀後半のフランスの重要な風景画家、ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌ(1750–1819)や版画家のジョルジュ・マルベスト(Georges Malbeste:1754-1843)の工房にはしばしば出入りしていたことが知られている。1799年にサロン・ド・パリに初めて出展し、それから毎年、出展を続け、1910年に2等メダル、1819年に1等メダルを受賞した。

戸外で写生を行い、南フランス、サヴォワ、イタリア、ベルギー、チロルを旅し、ロマン主義のスタイルの風景画を描いた。人気のある風景画家となったが、詩人、批評家のテオフィル・ゴーティエは、ワトレの作品は時代遅れである("Quant à MM. Watelet et consorts, il est impossible d’être plus nuls. Ils sont morts il y a longtemps")と評した[1]

プロスペル・バケ、テオドール・カリュエル・ダリニーポール・ドラローシュ、アベル・デュフレーヌ、ジャック・ギオー、ピエール・テュイエといったフランスの次の世代の風景画家たちを教えた。

1825年にレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を受勲した[2]

作品

脚注

  1. ^ Théophile Gautier, "Salon de 1833" in La France littéraire, Vol.6 Online
  2. ^ Dossier @ the Base Leonore

関連書籍

  • Charles Gabet, Dictionnaire des artistes de l'école française au XIXe siècle; Peinture, sculpture, architecture, gravure, dessin, lithographie et composition musicale., Watelet (Louis-Étienne), 1831, Madame Vergne



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