ルイジ・ファジオーリ(イタリア)
1950年、アルファロメオが3人のF、すなわちジュゼッぺ・ファリナ、ファンジオ、ファジオーリと優れたドライバーをそろえてGPレースで圧倒的な強さを誇ったときのひとり。しかし、翌日年のフランスGPで、上位を走行中、ファンジオにマシンを明け渡すように命じられたのを不服として、アルファロメオと袂を分かった。30年代後半に所属していたメルセデス・ベンツでも、いくつかの勝利を積み重ねる優秀なドライバーであると同時に、チームメイトのカラツィオラを抜かないよう指令が出された場合にはさまざまなかたちでそれに反発した。なかでも、当初は彼のメカニックであったへルマン・ラングがドライバーに昇格した際には、チームメイトとしての協力を拒んだ。戦後の52年のミレ・ミリアでは、2Lのランチア・アウレリアで総合3位を得たが、これが彼の最高のレースのひとつに数えられている。それから3週間とはたたないうちにモナコのレースでクラッシュ、死亡した。
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