リビュア植民地建設の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 01:41 UTC 版)
「ドリエウス」の記事における「リビュア植民地建設の試み」の解説
クレオメネスが王位を継ぐいても、ドリエウスは自身のほうがより有能であると考え、彼の下でスパルタに留まることには耐えられなかった。このため、北アフリカにスパルタの植民都市を建設することを求めた。 紀元前515年、ドリエウスとその同調者はリビュアのトリポリタニアのキニプス川(en)付近に上陸した。ここで彼らは植民都市を建設したが、これは北アフリカにあるギリシア植民都市の中で最も西に位置した。 しかし、西地中海に巨大な海洋権益を持つカルタゴは、自身の影響力がある地域にギリシア人の植民都市が建設されることを好まなかった。3年後、カルタゴは現地のリビュア人と連合して、スパルタ人をアフリカから追い出した。
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