リッチオとダーンリー卿の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 08:48 UTC 版)
「ジェームズ・ヘップバーン (第4代ボスウェル伯爵)」の記事における「リッチオとダーンリー卿の死」の解説
1566年3月9日夜、ホリルード宮殿で女王メアリーの秘書リッチオが数人の貴族によって、女王の目の前で殺害された。その時の部屋に他に居合わせたのは、ダーンリー卿、主馬頭ジョン・エルスキン、マリ伯の弟ロバートと妹ジーンだった。他にはボスウェルとハントリー伯がいた。彼らは晩餐には招かれていなかった。後は数人の貴族たちがいた。リッチオを殺害した貴族たちは、ボスウェルとハントリー伯の殺害も狙っていたらしく、2人を探したが、彼らはつなぎ合わせたシーツをロープ代わりにして逃げた後だった。同年6月19日にメアリーはジェームズ(後のスコットランド王・イングランド王ジェームス6世および1世)を出産した。 1567年2月にダーンリー卿の療養のため、メアリーは臣下たちとカーク・オ・フィールド教会でしばらく過ごすことになった。しかし2月10日の夜中、ダーンリー卿が殺害されているのが発見された。その後の枢密院では、ボスウェル1人の単独犯行という判決が出された。しかし、4月12日のトルブースでの裁判では無罪判決が出された。ダーンリー卿暗殺の首謀者がボスウェルという見方については、彼ほどの優秀で経験豊富な軍人が、なぜダーンリー1人を殺すのにわざわざこんな目立つ方法を選んだのかという意見もある。
※この「リッチオとダーンリー卿の死」の解説は、「ジェームズ・ヘップバーン (第4代ボスウェル伯爵)」の解説の一部です。
「リッチオとダーンリー卿の死」を含む「ジェームズ・ヘップバーン (第4代ボスウェル伯爵)」の記事については、「ジェームズ・ヘップバーン (第4代ボスウェル伯爵)」の概要を参照ください。
- リッチオとダーンリー卿の死のページへのリンク