リカルド・ギオーネとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 製作者 > 映画製作者 > イタリアの映画監督 > リカルド・ギオーネの意味・解説 

リカルド・ギオーネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/12 13:59 UTC 版)

Riccardo Ghione
リカルド・ギオーネ
生年月日 (1922-02-22) 1922年2月22日
没年月日 2003年
出生地 イタリア ピエモンテ州アレッサンドリア県アックイ・テルメ
職業 脚本家映画監督映画プロデューサー
ジャンル 映画ネオレアリズモイタリア式コメディ
活動期間 1951年 - 2000年
テンプレートを表示

リカルド・ギオーネRiccardo Ghione, 1922年2月22日2003年)は、イタリア脚本家映画監督映画プロデューサーである[1]。日本ではリッカルド・ジオーネとも表記されるが、イタリア語の「ghi」は「ジ」ではなく「ギ」に近い。

来歴・人物

1922年(大正11年)2月22日、イタリア・ピエモンテ州アレッサンドリア県アックイ・テルメに生まれる[1]

第二次世界大戦終結後、満29歳になった1951年(昭和26年)、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ある三面記事についてのメモ』をプロデュースしたのが、もっとも古い映画界での記録である[1]。1953年(昭和28年)には、フェデリコ・フェリーニミケランジェロ・アントニオーニカルロ・リッツァーニディーノ・リージ、フランチェスコ・マゼッリ、チェーザレ・ザヴァッティーニアルベルト・ラットゥアーダが監督したオムニバス映画をプロデュース、このころから、脚本の集団執筆作業に加わり始めている[1]

1967年(昭和42年)、監督業に進出、1971年(昭和46年)までに4作を監督するが、以降、脚本業に専念する[1]

2000年(平成12年)、サルヴァトーレ・サンペリの脚本に参加したのが、作品に関する、もっとも新しい記録である[1]

フィルモグラフィ

特筆以外は脚本執筆作である[1]

関連事項

  1. ^ a b c d e f g Riccardo Ghione, Internet Movie Database (英語), 2010年8月26日閲覧。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「リカルド・ギオーネ」の関連用語

リカルド・ギオーネのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



リカルド・ギオーネのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのリカルド・ギオーネ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS