ライモンダス・ルムシャスとは? わかりやすく解説

ライモンダス・ルムシャス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/30 06:25 UTC 版)

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ライモンダス・ルムシャス(Raimondas Rumšas、1972年1月14日 - )は、リトアニア、シィルテー出身の元自転車競技ロードレース)選手。

経歴

1996年にプロに転向。

1999年、セッティマナ・チクリスタ・ロンバルディア総合優勝、ツール・ド・ポローニュ区間2勝などの実績を挙げる。

2000年、ファッサ・ボルトロに移籍。ジロ・ディ・ロンバルディアを制覇。ブエルタ・ア・エスパーニャでは総合5位と健闘。

2001年国内選手権・個人ロード制覇、バスク一周総合優勝を果たす。

2002年ランプレに移籍。同年のツール・ド・フランスに、最初で最後の出場を果たす。ピレネー山脈モン・ヴァントゥアルプス山脈という、厳しい山岳ステージが続いた大会だったが、その山岳ステージでいずれも健闘。総合3位に入った。しかしツール最終日の同年7月28日、夫人のエディタ・ルムシャスが大量の禁止薬物所持(エリスロポエチンアナボリックステロイドテストステロン等)により、フランス当局に身柄を拘束される事件が発生。当人には陽性反応が出なかったものの、事の重大さを考慮し、同日限りでランプレとの契約が打ち切られた。

しかし2003年にランプレに復帰。ジロ・デ・イタリアに出場。総合6位に入る。ところがジロ終了後、自身の体内からエリスロポエチン(EPO)陽性反応が出たことから、1年間の出場停止処分が下されるとともに、同年限りでランプレとの契約が打ち切られる。

2004年8月5日、アクア・エ・サポーネへの移籍が決まったが、同年限りで契約打ち切り。2005年シーズンはチーム無所属の形で活動し、国内選手権・個人タイムトライアル制覇、個人ロードレース2位の実績を挙げたが、ロードレース選手としては、これが事実上最後の実績となった。

2006年1月、共犯の妻のエディタ(罰金刑)、ポーランド人医師(懲役1年)とともに、フランスのボンヌヴィル裁判所で一連のドーピング事件にかかる判決が下され、自身には懲役4ヶ月の実刑が言い渡された。

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