ヨーハン・オーロフソン・ベリエンシェーナとは? わかりやすく解説

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ヨーハン・オーロフソン・ベリエンシェーナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 03:01 UTC 版)

ヨーハン・オーロフソン・ベリエンシェーナスウェーデン語: Johan Olofsson Bergenstierna1618年6月23日 - 1676年5月20日)は、オランダ東インド会社の社員、スウェーデン海軍提督。日本を訪れた最初のスウェーデン人とされる[1]。ナイトに叙勲される前の姓はベリイ(Berg)であった。

ベリエンシェーナはストックホルムの北東70kmほどにあるノルテリエ(Norrtälje)に、オロフ・アンデルソン・ベリイ(Olof Andersson Berg)とカリン・アンデルスドッター(Andersdotter)の間に生まれた。1640年に海軍に入り、トルステンソン戦争ではデンマークと戦った。1646年から1651年まではオランダ東インド会社に勤務し、1647年に8月8日には日本を訪れている[2]。1651年に帰国して海軍に戻りスコーネ戦争で活躍、艦長中将と順調に昇進し1676年には大将となった。しかしながら同年、海軍が基地として使用していたエルスナベン(Älvsnabben)島沖泊地において、自身が指揮するビクトリア号艦上で急病となり、2日後の5月20日に死亡した。死の直前にナイトに叙勲され、姓もベリエンシェーナに代わったが、本人はそのことを知らなかった。

1652年にクリスチーナ・ペルスドッター(Kristina Persdotter)と結婚している。

脚注

  1. ^ ベリエンシェーナと同年に、スウェーデン人のフレデリック・コイエット出島オランダ商館長として赴任しているが、日本到着はベリエンシェーナの方が3ヶ月程早い。
  2. ^ 延岡繁 2001, p. 48.

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