ヨーハン・ネポムク・カール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 14:33 UTC 版)
| ヨーハン・ネポムク・カール Johann Nepomuk Karl |
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| リヒテンシュタイン侯 | |
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| 在位 | 1732年12月17日 - 1748年12月22日 |
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| 出生 | 1724年7月6日 |
| 死去 | 1748年12月22日(24歳没) |
| 配偶者 | マリア・ヨーゼファ・フォン・ハラハ |
| 子女 | マリア・アントニア |
| 家名 | リヒテンシュタイン家 |
| 父親 | ヨーゼフ・ヨーハン・アダム |
| 母親 | マリア・アンナ・フォン・エッティンゲン=シュピールベルク |
ヨーハン・ネポムク・カール(Johann Nepomuk Karl, 1724年7月6日 - 1748年12月22日)は、リヒテンシュタイン侯(在位:1732年 - 1748年)。
1732年、前侯爵である父ヨーゼフ・ヨーハン・アダムの死後、叔父ヨーゼフ・ヴェンツェルの後見の下、8歳で即位。
1744年にマリア・ヨーゼファ・フォン・ハラハと結婚するが、間に成人した男子は無かった。1745年、ヨーゼフ・ヴェンツェルの後見を離れるが、1748年に亡くなった。
子女
- マリア・アントニア(1749年 - 1813年) - 1768年にパール侯ヴェンツェルと結婚
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固有名詞の分類
| 幼君 |
ヘリオガバルス ミトリダテス6世 ヨーハン・ネポムク・カール ロムルス・アウグストゥルス ジョヴァンニ・マリーア・ヴィスコンティ |
| リヒテンシュタインの君主 |
ヨーハン・ネポムク・カール アロイス1世 ヨーゼフ・ヨーハン・アダム アロイス2世 ハンス・アダム2世 |
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