マリア・ヨーゼファ・フォン・ハラハ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 15:09 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| マリア・ヨーゼファ・フォン・ハラハ Maria Josefa von Harrach | |
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| リヒテンシュタイン侯妃 | |
| 在位 | 1744年3月19日 - 1748年12月22日 | 
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| 出生 | 1727年11月20日  神聖ローマ帝国  オーストリア大公国、ウィーン | 
| 死去 | 1788年2月15日(60歳没)  神聖ローマ帝国  ボヘミア王国、ロウドニツェ・ナド・ラベム | 
| 配偶者 | リヒテンシュタイン侯ヨーハン・ネポムク・カール | 
| ヨーゼフ・フォン・ロプコヴィッツ | |
| 家名 | ハラハ家 | 
| 父親 | フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハラハ伯爵 | 
| 母親 | マリー・エレオノーレ・フォン・リヒテンシュタイン | 
マリア・ヨーゼファ・フォン・ハラハ(Gräfin Maria Josefa von Harrach、1727年11月20日 - 1788年2月15日)は、オーストリアの貴族女性。リヒテンシュタイン侯ヨーハン・ネポムク・カールの妻。
フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハラハ伯爵とその妻でリヒテンシュタイン侯アントン・フローリアンの娘マリー・エレオノーレ(1703年 - 1757年)の間の四女として生まれた。1744年3月19日、母方の従兄にあたるリヒテンシュタイン侯家の当主ヨーハン・ネポムク・カールと結婚した。ヨーハンとは間に子供のないまま結婚後4年で死別した。1752年11月28日に弟系ロプコヴィッツ侯家の当主ヨーゼフ(1724年 - 1802年)と再婚し、間に2男2女をもうけたが、成育したのは娘1人だけだった。
参考文献
- Centre d'Études des Dynasties Royales Européenes
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