ユーロビジョン・ソング・コンテスト1974での検閲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 15:23 UTC 版)
「イタリアのユーロビジョン・ソング・コンテスト」の記事における「ユーロビジョン・ソング・コンテスト1974での検閲」の解説
イタリアは、1974年大会のRAIでの放送を拒否した。これは、ジリオラ・チンクェッティによる楽曲がこの年のイタリアの離婚に関する国民投票と時期的に一致したことによる。国民投票は大会の1箇月以上後であり、チンクェッティは2位入賞を果たしたものの、イタリアはこの大会とチンクェッティの楽曲の放映を拒絶した。これは、チンクェッティによるイタリアの参加曲の曲名が「Sì」(Yes)と題され、歌詞でもこれが繰り返されるため、国民投票で賛成票を投じさせるサブリミナル効果をもたらすプロパガンダとなる危険性をRAIが危惧したことによる(国民投票では、離婚を認める法の廃止の可否を問うものであった)。この楽曲はその後1箇月以上にわたってイタリアでは放送禁止が続いた。
※この「ユーロビジョン・ソング・コンテスト1974での検閲」の解説は、「イタリアのユーロビジョン・ソング・コンテスト」の解説の一部です。
「ユーロビジョン・ソング・コンテスト1974での検閲」を含む「イタリアのユーロビジョン・ソング・コンテスト」の記事については、「イタリアのユーロビジョン・ソング・コンテスト」の概要を参照ください。
- ユーロビジョン・ソング・コンテスト1974での検閲のページへのリンク