モーリス・ド・ノアイユ公爵
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「ノアイユ賞」の記事における「モーリス・ド・ノアイユ公爵」の解説
モーリス・ド・ノアイユ公爵(fr:Duc de Noailles)は1897年に馬主になると、いきなり持ち馬のフィープランタン(Fee Printemps)がヴァントー賞に勝ち、ディアヌ賞でも4着に入る活躍をした。緑地に赤と緑のストライプの袖、赤い帽子というのが公爵の勝負服だった。 この後まもなく公爵はノアイユ家の所領であるウール=エ=ロワール県のマントノン城で競走馬の生産を始めた。1902年にはイギリスからレイヴンスベリー(Ravensbury)を輸入して種牡馬とした。レイヴンスベリーは不運にも三冠馬アイシングラスと同じ年に生まれ、三冠戦すべてで2着だった。レイヴンスベリーの生涯成績は27戦7勝だが、そのうち8戦はアイシングラスに敗れたものだった。レイヴンスベリーの父はアイシングラスと同じアイソノミーで、母は二冠馬ショットオーバー(Shotover)の全姉だった。しかし、レイヴンスベリーは種牡馬としては失敗に終わった。 モーリス・ド・ノアイユ公爵は1926年に馬種改良奨励協会の執行役員になった。
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