モロッコ問題と失脚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 14:27 UTC 版)
「テオフィル・デルカッセ」の記事における「モロッコ問題と失脚」の解説
1905年3月31日、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が、フランスの勢力圏であるモロッコの北端の都市タンジールを突如訪問した。これを切っ掛けに独仏関係は緊張し、全面戦争を危惧する声も出た(第一次モロッコ事件)。このときデルカッセはあくまで対独強硬策を主張し、和平交渉を拒んだため、首相ルーヴィエとの対立を招き、罷免された。しかし、モロッコ問題調停を図って翌年1月から開催されたアルヘシラス会議において、ドイツの外交的孤立が露呈されるなど、彼のとった外交政策はフランスに利益をもたらした。
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