モナルコマキとポリティーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:54 UTC 版)
「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「モナルコマキとポリティーク」の解説
上述のように、ユグノー戦争ではコンフェッショナリズムが最も激しいかたちで展開し、フランスの国家と社会は深刻な分裂状態に陥った。そのなかで、近代における「信教の自由」や「「主権国家」の考え方につながる思想も現れてきた。それがモナルコマキとポリティークである。政治的立場としては、他に、上述したラ・リーグなどカトリック強硬派があった。都市民衆にはここに加わる人びとも少なくなかった。また、新教徒同様に国王の専制を嫌い、国家における自らの影響力教化を狙う穏健派カトリック貴族のなかには「不満派」というべき勢力が形成され、拡大された国務会議と全国三部会と国王による主権の共同行使を求めた。
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