メルボーン男爵とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > メルボーン男爵の意味・解説 

メルバーン子爵

(メルボーン男爵 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/29 13:11 UTC 版)

メルバーン子爵
Viscount Melbourne

紋章記述

Arms:Sable on a Fess Erminois between three Cinquefoils Argent two Mullets of the field Crest:A Demi Lion rampant Gules holding between the paws a Mullet Sable Supporters:On either side a Lion Gules gorged with a Collar Or charged with two Mullets Sable and chained also Or
創設時期 1781年1月11日
創設者 ジョージ3世
貴族 アイルランド貴族
初代 初代子爵ペニストン・ラム英語版
最終保有者 3代子爵フレデリック・ラム英語版
付随称号 メルバーン男爵
キルモア男爵
ボーヴェイル男爵
(ブロケット・ホールの)準男爵
現況 廃絶
断絶時期 1853年1月29日
モットー 勇気と信仰によって
(Virtute Et Fide)

メルバーン子爵: Viscount Melbourne)は、かつて存在したイギリス子爵位。アイルランド貴族メルボルン子爵メルボーン子爵と表記されることもある。

サー・ペニストン・ラムが1781年に叙位されたことに始まる。

歴史

爵位名の由来となったメルバーン・ホールイングランドダービーシャーにある
ウィリアム4世ヴィクトリア女王の下でイギリスの首相を務めた第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム。サー・エドウィン・ランドシーア画、ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵。

メルバーン子爵家の祖となったマシュー・ラム英語版(1705-1768)ストックブリッジ選挙区英語版ピーターバラ選挙区選出の庶民院議員を務めたのち、1755年にグレートブリテン準男爵として(ハートフォード州におけるブロケット・ホールの)準男爵(Baronet, of Brocket Hall in the County of Hertford)の称号を与えられた人物である[1]。彼はサー・ジョン・コーク英語版の子孫であるシャーロット・コーク嬢と結婚したため、ジョンが建てたメルバーン・ホールはラム家に渡った[1]

マシューが死去すると、夫妻の子のペニストン英語版が準男爵を継承した[2]。彼も政治家で、初めラジャシャル選挙区英語版選出の、次いでマームズベリー選挙区英語版選出の、さらにニューポート選挙区英語版選出の庶民院議員を務めた[1]。ペニストンは1770年アイルランド貴族としてキャヴァン県キルモアのメルバーン男爵(Baron Melbourne, of Kilmore, in the County of Cavan)に叙された[3]。彼は続く1781年にはキャバン県キルモアのメルバーン子爵(Viscount Melbourne,of Kilmore in the County of Cavan)に昇叙している[3][4]。また彼は1815年連合王国貴族爵位のダービー州メルバーンのメルバーン男爵(Baron Melbourne,of Melbourne, in the County of Derby)に叙されたため、以降の歴代当主は自動的に貴族院の議席を得ることとなった[3][5]。初代メルバーン子爵の長男であるペニストン英語版は早世したため、次男のウィリアムが2代子爵となった[3]

2代子爵ウィリアム(1779-1848)ホイッグ党の政治家で、カニング内閣でアイルランド担当大臣英語版を務めたほか、グレイ内閣で内務大臣となり、1834年首相および貴族院院内総務を歴任した[6]。この時の内閣は短命に終わったが、1835年にウィリアムは再び首相および貴族院院内総務となった。彼の首相としての治績は、死刑の適用範囲の縮小、地方行政改革、救貧法 (1834年)英語版の改正などが挙げられる[6]。なお、オーストラリアメルボルンは彼にちなんで名づけられた。2代子爵の息子も早世したため、爵位は初代子爵の三男であるフレデリック英語版が相続した。

3代子爵フレデリック(1782-1853)は外交官として活躍し、在バイエルン英国公使英語版在ポルトガル英国大使英語版および在墺英国大使英語版といった顕職を歴任した[3][7]。彼は襲爵前の1839年に、連合王国貴族爵位のノッティンガム州ボーヴェイルのボーヴェイル男爵(Baron Beauvale, of Beauvale in the County of Nottingham)に叙されている[3][7][8]

3代子爵は1853年に死去したが、彼には息子がおらず、初代子爵の四男であるジョージ英語版(グレイ内閣で内務政務次官英語版を務めた政治家)も息子のないまますでに死去していたため、これらの爵位は断絶した[3]


子爵家のかつての邸宅にはダービーシャーに位置するメルボーン・ホールがあった。

一覧

初代ボーヴェイル男爵フレデリック・ラム(後の第3代メルバーン子爵)。1846年、ジョン・パートリッジ(en)画、ナショナル・ポートレート・ギャラリー

(ブロケット・ホールの)ラム準男爵 (1755年)

  • 初代準男爵サー・マシュー・ラム英語版 (1705年 - 1768年)
  • 第2代準男爵サー・ペニストン・ラム英語版 (1748年 - 1829年)
    • 1770年、メルバーン男爵に叙位。

メルバーン男爵 (1770年)

  • 初代メルバーン男爵ペニストン・ラム英語版 (1748年 - 1829年)
    • 1770年、メルバーン子爵に叙位。

メルバーン子爵 (1781年)

  • 初代メルバーン子爵ペニストン・ラム英語版 (1748年 - 1829年)
  • 第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム (1779年 - 1848年)
  • 第3代メルバーン子爵フレデリック・ラム英語版 (1782年 - 1853年)
    • 1853年、断絶。

ボーヴェイル男爵 (1839年)

  • 初代ボーヴェイル男爵フレデリック・ラム英語版 (1782年 - 1853年)
    • 1848年、メルバーン子爵を相続。

脚注

注釈


出典

  1. ^ a b c "Lamb, Matthew" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
  2. ^ LAMB, Peniston (1745-1828), of Brocket Hall, Herts. and Melbourne Hall, Derbys. | History of Parliament Online”. www.historyofparliamentonline.org. 2021年1月31日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Melbourne, Viscount (I, 1781 - 1853)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2021年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月31日閲覧。
  4. ^ "No. 12146". The London Gazette (英語). 19 December 1780. p. 2.
  5. ^ "No. 17041". The London Gazette (英語). 18 July 1815. p. 1459.
  6. ^ a b Mandler, Peter. "Lamb, William, second Viscount Melbourne". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/15920 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  7. ^ a b K. D. Reynolds. "Lamb, Frederick James, Baron Beauvale and third Viscount Melbourne". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/15914 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  8. ^ "No. 19724". The London Gazette (英語). 12 April 1839. p. 800.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

メルボーン男爵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



メルボーン男爵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのメルバーン子爵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS