ミハイル・プリャエフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ミハイル・プリャエフの意味・解説 

ミハイル・プリャエフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 08:18 UTC 版)

獲得メダル

ミハイル・プリャエフ
ロシア
柔道
世界柔道選手権
2014 チェリャビンスク 66kg級
2015 アスタナ 66kg級
2017 ブダペスト 66kg級

ミハイル・プリャエフ(Mikhail Pulyaev 1987年6月22日 - )は、ロシアモスクワ出身の柔道選手。階級は66kg級。身長166cm[1][2]

人物

2010年の世界団体では3位になった。その後も国際大会で一定の活躍をするものの、2012年ロンドンオリンピックには出場できなかった[2]。2013年の世界選手権66kg級では5位だった。2014年にはグランドスラム・パリで優勝すると、ヨーロッパ選手権では3位になった[2]。地元ロシアで開催された世界選手権では準決勝で日本高市賢悟を技ありで破るが、決勝で日本の海老沼匡内股で敗れたものの2位になった[3][4]。2015年の世界選手権では決勝で韓国アン・バウルと対戦しGSに入ってから反則負けを喫して2大会連続で2位に終わった[5]。2016年4月にタス通信はプリャエフの他に、デニス・ヤルツェフ、ナタリア・コンドラチェワ、エカテリーナ・バルコワといったロシアの柔道選手が禁止薬物のメルドニウムに陽性反応を示したと報じた。なお、ロシアの柔道連盟はこの件に関するコメントを拒否している[6]。しかしながらこの件にもかかわらず、5月にはグランドスラム・バクーに出場を果たすと優勝を飾った[7]リオデジャネイロオリンピックでは初戦でカナダの選手と対戦して敗れた[1][2]。2017年の世界選手権では準決勝で世界ランキング1位であるイスラエルのタル・フリッカーを技ありで破るも、決勝では日本の阿部一二三袖釣込腰で敗れて3大会連続銀メダルに終わった[8]

主な戦績

(出典[2]、JudoInside.com)

脚注

  1. ^ a b Biography and Olympic Results
  2. ^ a b c d e profile
  3. ^ Championships 2014”. 2014年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月26日閲覧。
  4. ^ Championships, Chelyabinsk 2014”. 2014年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月7日閲覧。
  5. ^ Championships 2015, Astana - DAY 2”. 2015年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月25日閲覧。
  6. ^ 柔道選手もメルドニウム陽性、世界選手権メダリストら4人
  7. ^ Baku Grand Slam 2016 - Azerbaijan
  8. ^ Suzuki World Judo Championships 2017

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ミハイル・プリャエフ」の関連用語

ミハイル・プリャエフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ミハイル・プリャエフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのミハイル・プリャエフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS