ミスアリの失脚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 23:28 UTC 版)
詳細は「en:Autonomous Region in Muslim Mindanao general election, 2001」を参照 軍事的には弱体化したMNLFだったが、ARMMにおける投資の分配を独占するミスアリの影響力そのものは未だ強大であった。このため中央に敵対的な地方支配者の存在を除きたいマニラのアロヨ政権は、2001年のARMM知事選においてヌル・ミスアリと対立するMNLF副議長パロウク・フシン(Parouk S. Hussin)を支援した。 窮地に立たされたミスアリ派は2006年11月、ホロ島の国軍基地を襲撃して武装蜂起に打って出たが程なく鎮圧。ミスアリは政府に逮捕され、親マニラのフシン新知事体制が成立した。 だがMNLF内部には依然としてミスアリを支持する集団も勢力を保っており、事実上の分裂状態が続いている。
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