マールワーの獲得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 03:07 UTC 版)
1562年、ピール・ムハンマド・ハーンの溺死により喪失したマールワー地方を回復するため、第二次マールワー遠征軍が派遣された。指揮官はアブドゥッラー・ハーン・ウズベクであったが、指揮官が占領地に定着して中央の統制から離れることを恐れ、「皇室直轄領を確定するため」にシハーブッディーン・アフマド・ハーンなど多数の監督官を遠征軍に配属させた。 アクバルがマールワー地方の獲得にここまで重視した理由としては、当時帝国東部でハーン・ザマーンが半独立的な立場でいたとこ、またジャーギールダールらを結集していたことがあげられる。石井保昭は「南方のマールワーをしっかり皇帝の手に確保することは戦略上重要であった」と述べている。 ピール・ムハンマド・ハーンの水死後、マールワーはまたしてもバーズ・バハードゥルの支配下に入っていた。帝国軍は戦闘を行ったが、1564年にはアブドゥッラー・ハーンが反乱を起こすなどしたため、遠征は長期のものとなった。 1570年、アクバルはバーズ・バハードゥルに帰順を誘い、彼は帝国に帰順を申し入れ、マールワー地方は帝国の一州になった。
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