マルグリット2世 (フランドル女伯)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > マルグリット2世 (フランドル女伯)の意味・解説 

マルグリット2世 (フランドル女伯)

(マルグリット・ド・コンスタンティノープル から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/14 22:33 UTC 版)

マルグリット2世(1世)
Marguerite II (I)
フランドル女伯
エノー女伯
マルグリット2世とダンピエール伯ギヨーム2世

出生 (1202-06-02) 1202年6月2日
死去 (1280-02-10) 1280年2月10日(77歳没)
配偶者 アヴェーヌ領主ブシャール4世
  ダンピエール伯ギヨーム2世
子女 一覧参照
家名 エノー家
父親 ラテン皇帝ボードゥアン1世
母親 マリー・ド・シャンパーニュ英語版
テンプレートを表示
マルグリット2世

マルグリット2世(Marguerite II, 1202年6月2日 - 1280年2月10日)は、フランドル女伯(在位:1244年 - 1247年1251年 - 1278年)、エノー女伯(1世、在位:1244年 - 1246年1257年 - 1280年)。父はラテン皇帝にも即位したボードゥアン1世、母はシャンパーニュ伯アンリ1世の娘マリー。姉にフランドル女伯兼エノー女伯ジャンヌがいる。

生涯

1202年に父が第4回十字軍に参加、出発した後に生まれた。姉ジャンヌと共に母の後見を受け、1204年の母の死後は叔父のナミュール伯フィリップ、次いでフランスフィリップ2世が後見人となった。なお、父は1205年ブルガリア皇帝カロヤン=ヨハニッツァに敗れて獄死、もう1人の叔父アンリ(フィリップの弟)が次のラテン皇帝に即位している(フランドルとエノーはジャンヌが相続)。

1212年にアヴェーヌ領主ブシャール4世と結婚、ジャンを始め3人の子を産んだが、ローマ教皇から婚姻の無効を申し立てられ、1221年に結婚関係を解消、1223年にダンピエール伯ギヨーム2世と再婚、ギヨームギーら5人の子を儲けた。1244年に姉が子の無いまま没したので、フランドル、エノーを相続した。

しかし、同年にギヨームにフランドルを継がせようとした為、ジャンが反発して紛争を始めてしまった(フランドル継承戦争英語版)。1246年にルイ9世の調停を受けてフランドルはギヨーム、エノーはジャンが相続すると取り決められたが[1]、マルグリットは1247年にギヨームにフランドルを譲ったものの、ジャンにエノーを渡さなかった為に再び戦端が開かれ、1251年のギヨームの死、1253年のギーの敗北を経てジャンが名実共にエノー伯となった。

ところが、1257年にジャンが急死、マルグリットがエノー女伯に復位した(フランドル女伯もギヨームの死に伴い復位)。以後フランドルは1278年にギーに譲り、エノーは1280年のマルグリットの死後に孫のジャンに受け継がれていった。

子女

アヴェーヌ領主ブシャール4世との間に以下の3子をもうけた。

ダンピエール伯ギヨーム2世との間に以下の5子をもうけた。

  • ギヨーム(1224年 - 1251年) - フランドル伯
  • ジャンヌ(1225年頃 - 1245/6年) - 1239年にルテル伯ユーグ3世と結婚、1243年にバル伯ティボー2世と結婚
  • ギー(1226年頃 - 1305年) - フランドル伯
  • ジャン(1228年頃 - 1258年) - ダンピエール=シュル=ローブ、ソンピュイおよびサン=ディジエ領主、トロワ子爵
  • マリー(1230年頃 - 1302年) - フランヌ女子修道院長(ドゥエー近郊)

脚注

  1. ^ 森田、p. 196

参考文献

  • 森田安一 編 『新版 世界各国史14 スイス・ベネルクス史』 山川出版社、1998年
先代
ジャンヌ
フランドル伯
1244年 - 1247年
次代
ギヨーム2世
先代
ギヨーム2世
フランドル伯
1251年 - 1278年
次代
ギー
先代
ジャンヌ
エノー伯
1244年 - 1246年
次代
ジャン1世
先代
ジャン1世
エノー伯
1257年 - 1280年
次代
ジャン2世



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マルグリット2世 (フランドル女伯)」の関連用語

マルグリット2世 (フランドル女伯)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マルグリット2世 (フランドル女伯)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマルグリット2世 (フランドル女伯) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS