ブシャール4世・ダヴェーヌとは? わかりやすく解説

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ブシャール4世・ダヴェーヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/17 14:23 UTC 版)

ブシャール4世・ダヴェーヌ
Bouchard IV d'Avesnes
アヴェーヌ領主
在位 1191年 - 1244年

出生 1182年
死去 1244年
クレールフォンテーヌ英語版
埋葬 クレールフォンテーヌ英語版
配偶者 フランドル女伯エノー女伯マルグリット2世
子女 ボードゥアン
ジャン1世
ボードゥアン
家名 アヴェーヌ家
父親 ジャック1世・ダヴェーヌ
母親 アデル・ド・ギーズ
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ブシャール4世・ダヴェーヌフランス語:Bouchard IV d'Avesnes, 1182年 - 1244年)は、アヴェーヌおよびエトルーント英語の領主。ジャック1世・ダヴェーヌとアデル・ド・ギーズの息子で、ブロワ伯ゴーティエ2世の弟[1]

生涯

ブシャールは最初はランの教会においてカントルおよび副助祭をつとめた。1212年、ブシャールはエノーの代官(バイイ)に任命された。この立場により、ブシャールはフランドル女伯エノー女伯ジャンヌの妹マルグリットの家庭教師と後見人をつとめた。1212年にブシャールはマルグリットと結婚したが[2][3]、マルグリットはまだ10歳であったため、結婚を完遂することはできなかった。女伯ジャンヌおよびその夫フェランはどちらもこの結婚に同意を与えておらず、2人はこの結婚を阻止しようとしたが失敗に終わった[3]

ブシャールは好戦的な生涯を送った。まず、父からの遺産の大半を継承した兄ゴーティエの領地に攻め入った。次にフランドルに攻め入り、女伯ジャンヌとフェランにマルグリットとの結婚を認めさせた。1214年、ブーヴィーヌの戦いにおいて(敗北した)フランドル側について戦った。ブーヴィーヌの戦いで勝利したフランス王フィリップ2世は、ブシャールとマルグリットの結婚は無効であると宣言するようローマ教皇インノケンティウス3世に助言した。インノケンティウス3世は結局、1216年1月19日にブシャールを破門した[3]。ブシャールとマルグリットはルクセンブルクに亡命した。1219年、ブシャールは戦いのさなかに捕らえられ、ヘントに2年間幽閉された[3]。ブシャールが解放されるために、マルグリットは結婚の解消を受け入れ、ブシャールは教皇のためにイタリアに向けて出発することとなった。ブシャールは帰還した後、ジャンヌの命により斬首された。

子女

マルグリットとの間に3男をもうけた。息子たちはフランドル継承戦争において重要な役割を果たした。

  • ボードゥアン(1217年 - 1219年) - 両親と共にルクセンブルクに亡命した
  • ジャン1世(1218年 - 1257年) - エノー伯
  • ボードゥアン(1219年 - 1295年) - ボーモン領主

脚注

  1. ^ Platelle 2004, p. 296.
  2. ^ Platelle 2004, p. 284.
  3. ^ a b c d Bradbury 1998, pp. 324–325.

参考文献

  • Platelle, Henri (2004) (フランス語). Présence de l'au-delà: une vision médiévale du monde. Presses Universitaires du Septentrion 
  • Bradbury, Jim (1998). Philip Augustus: King of France 1180-1223. Taylor & Francis 



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