マリア・サンブラーノとは? わかりやすく解説

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マリア・サンブラーノ

(マリア・サンブラノ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/26 03:07 UTC 版)

マリア・サンブラーノ
生誕 (1904-04-25) 1904年4月25日
スペイン王国マラガ県ベレス=マラガ
死没 (1991-02-06) 1991年2月6日(86歳没)
スペインマドリード
時代 20世紀哲学
地域 西洋哲学
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マリア・サンブラーノ

マリア・サンブラーノ・アラルコンスペイン語: María Zambrano Alarcón, 1904年4月25日 - 1991年2月6日)は、スペインマラガ県ベレス=マラガ出身の哲学者随筆家

経歴

マドリード大学にてホセ・オルテガ・イ・ガセットハビエル・スビリのもとで哲学を学ぶ。その後、1930年にマドリード大学の形而上学講座の助教授となり、哲学を講じる(1930年-1936年)。フランコ政権樹立後は、スペインの多くの知識人たちと同じく、亡命。メキシコプエルトリコキューバイタリアフランススイスなどを転々とし、スペインへの帰国は最晩年のこと、1984年11月20日だった。

サンブラーノの思想は、当初はオルテガの「生の哲学」に影響を受けたが、オルテガの「生の理性〔razón vital〕」を「詩の理性〔razón poética〕」へと読みかえて深化させることでオルテガの影響下から離脱し、独自の思想を形成した。そのため、「マドリード学派」のなかでも、オルテガの「異端の弟子」であるとも呼ばれている。

ガルシア・ロルカパブロ・ネルーダオクタビオ・パスアルベール・カミュルネ・シャールらとの親交を通してサンブラーノの名はラテンアメリカやヨーロッパでも知られていたが、亡命のためにスペイン国内ではあまり知られず、スペイン国内で広く知られるようになったのは帰国後、1988年に女性初のセルバンテス賞受賞者となってからのことである。それに先立ち1981年にアストゥリアス皇太子賞コミュニケーションおよびヒューマニズム部門を受賞。

なお、無類のネコ好きとしても知られ、30匹ものネコを飼っていたという。

著作

  • 『自由主義の地平』 Horizontes del liberalismo (1930)
  • 『哲学と詩』 Filosofía y poesía (1939)
  • 『魂に関する知に向かって』 Hacia un saber sobre el alma (1950)
  • 『人間と聖なるもの』 El hombre y lo divino (1953)
  • 『妄想と運命』 Delirio y destino (1953/1989)
  • 『スペイン、夢と真実』 España, sueño y verdad (1965)
  • 『森の空間』 Claros del bosque (1977)
  • 『曙光について』De la aurora (1986)

など。

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