マクックの第20軍団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/29 23:01 UTC 版)
「第20軍団 (北軍)」の記事における「マクックの第20軍団」の解説
最初の第20軍団はアレクサンダー・マクックが軍団長を務めた。この軍団は、ストーンズリバーの戦いの後に、カンバーランド軍(当時は第14軍団のみで構成されていた)が3つに分割されて組織されたものであった。第14軍団右翼が第20軍団、左翼が第21軍団となり、中央翼が第14軍団の名称を引き継いだ。マクックが有名だったこともあり、第20軍団は一般兵士や時には士官からももマクック軍団と呼ばれた。 カンバーランド軍のタラホーマ方面作戦では、テネシー州リバティギャップで、南軍ブラクストン・ブラッグ大将の後衛部隊と、1863年6月に小さな戦闘を行った。第21軍団が戦った唯一の大規模な戦闘は、チカマウガの戦いであったが、この2日間に渡る戦いで第20軍団は第損害を受けた。この損害のため、第20軍団はトマス・L・クリッテンデンの第21軍団と統合され、名称も第4軍団と変更された。マクックはチカマウガでの敗北の責任を問われ、軍団長を退いた。
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