マクデブルク大司教座の設立
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「オットー1世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「マクデブルク大司教座の設立」の解説
968年、オットー1世はかねてよりの悲願であったマクデブルク大司教座の設立に着手する。これは、マクデブルクに大司教座を設置することで自らの利権が奪われることを危惧していた庶子のマインツ大司教ヴィルヘルムとハルバーシュタット司教ベルンハルトの死によるものであった。これによってマクデブルクはハルバーシュタット司教区から独立して大司教区となり、ハーフェンブルク・ブランデンブルク・マイセン・メルゼブルク・ツァイツがその属司教区となった。
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