マウラナ・ムハマド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/06 00:13 UTC 版)
パヌンバハン・ユスフが病気になったとき、王国の大臣たちは当時9歳だったマウラナ・ムハマド(インドネシア語版)をカンジェン・ラトゥ・バンテンと称してバンテンの王にした。大臣が後見人となり、王が統治できるようになるまで政治活動全般を執り行った。 1596年にパレンバンを攻撃し支配するためカンジェン・ラトゥ・バンテンは自ら王国の軍隊を指揮した。スマトラの胡椒や農産物などの集積所にするため、マラッカ海峡の端に位置するこの商業港を占領する目的だった。遠征は順調に進みパレンバンはほとんど占領しかけたが、自身が狙撃されて死亡したため、結局成功しなかった。
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