パヌンバハン・ユスフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/06 00:13 UTC 版)
「バンテン王国」の記事における「パヌンバハン・ユスフ」の解説
1570年にハサヌディンが死去したのち、息子であるパヌンバハン・ユスフ(英語版)(インドネシア語: Maulana Yusuf)が後継者となった。農業と灌漑に力を注ぎ、王国の支配地域を拡大することに努めた。1579年にパクアンを奪取したさい、パクアン王プラブ・セダーが戦死した。それにより西部ジャワ最後のヒンドゥー王国の砦であったパジャジャラン王国は崩壊した。 10年間の統治ののち、パヌンバハン・ユスフは重い病気によって死去した。
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