ペドロの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/24 06:10 UTC 版)
エンリケとゲクランはペドロが逃げ込んだモンティエル砦を包囲した。忠誠を誓うサンティアゴ騎士団と共に籠城の構えを見えるペドロに対し、ゲクランがエンリケの使者として送り込まれた。ペドロは傭兵隊長であり叛服常無いゲクランを買収しようと、金貨20万枚とソリア、アルマサン、アティエンサ(英語版)などの町々と引き換えに裏切りを持ちかけた。しかしゲクランはこの誘いをエンリケに秘かに知らせ、ペドロ側よりより多くの報酬の約束を引き出すと何食わぬ顔で城内に戻り、ペドロの取引に応じる、と答えた。 3月23日の夜、ゲクランは城外の自らのテントにペドロを招き入れた。そこにはエンリケが待ち構えていた。 14世紀のカスティーリャの歴史家ロペス・デ・アヤラ(英語版)(1332–1407)の記述によると、異母弟のペドロ王と長い間会っていなかったエンリケはテントに入って来たペドロ王に気づかなかったという。ゲクランの配下が『この者が閣下の敵ですぞ』とささやき、ペドロ王が『余がそなたの敵だ』と言って、ようやく異母弟を認識したエンリケは短剣で王の顔に切りつけ、倒れた後も何度も刺して殺害した。遺体は3日間野晒しにされて辱められた。 ペドロはモンティエルで戦死したという説や、捕らえられて処刑されたという説もある。
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