ブラジルへ移民・南米武者修行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 06:17 UTC 版)
「チアキ・イシイ」の記事における「ブラジルへ移民・南米武者修行」の解説
1964年、大学卒業の翌日、農業で身を立てることを夢みてブラジルに渡る。まもなくエリオ・グレイシーと10分6ラウンド柔術デスマッチで二度引き分けて負けずに全ブラジルに勢力を広げていたブラジル柔道小野派のトップ小野安一に指導員としてスカウトされる。全伯柔剣道大会で優勝。ブラジル柔道主流派のトップ大河内辰夫に1964年東京オリンピック中量級ブラジル代表塩沢良平の指導を頼まれ、一ヶ月、サンパウロに滞在する。オリンピックでは塩沢は予選リーグで三勝し決勝リーグに進むが韓国代表金義泰(天理大学)に合わせ技で敗れ入賞ならず。チアキはその後も大河内派の支部道場を回り指導を続ける。1964年暮れあたりからブラジルを出て一年半に及ぶアルゼンチン、チリ、ペルーの南米武者修行の旅に。
※この「ブラジルへ移民・南米武者修行」の解説は、「チアキ・イシイ」の解説の一部です。
「ブラジルへ移民・南米武者修行」を含む「チアキ・イシイ」の記事については、「チアキ・イシイ」の概要を参照ください。
- ブラジルへ移民・南米武者修行のページへのリンク