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ブラゴイ・ゲオルギエフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/08 09:07 UTC 版)

ブラゴイ・ゲオルギエフ
2013年のゲオルギエフ
名前
本名 ブラゴイ・ジョレフ・ゲオルギエフ
Blagoy Zhorev Georgiev
ラテン文字 Blagoy GEORGIEV
ブルガリア語 Благой Жорев Георгиев
基本情報
国籍  ブルガリア
生年月日 (1981-12-21) 1981年12月21日(41歳)
出身地 ブルガリアソフィア
身長 185cm
体重 80kg
選手情報
ポジション MF (CMF)
利き足 右足
ユース
スラヴィア・ソフィア
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2008 スラヴィア・ソフィア 172 (46)
2006 アラベス (loan) 10 (0)
2006-2007 レッドスター (loan) 20 (2)
2007-2008 デュースブルク (loan) 31 (2)
2009-2012 テレク 105 (7)
2013-2014 アムカル 36 (3)
2014-2016 ルビン 37 (1)
2016-2017 オレンブルク 30 (7)
代表歴
ブルガリア U-21
2004-2011 ブルガリア 50 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ブラゴイ・ジョレフ・ゲオルギエフブルガリア語: Благой Жорев Георгиев, ラテン文字転写: Blagoy Zhorev Georgiev, 1981年12月21日 - )は、ブルガリアソフィア出身の元サッカー選手。元ブルガリア代表。現役時代のポジションはMF

経歴

クラブ

スラヴィア・ソフィア

1981年にブルガリアの首都ソフィアで生まれ、地元のPFCスラヴィア・ソフィアの下部組織を経て[1] 同クラブのトップチームでプロとしてのキャリアを開始した。ミロスラフ・ミラノフ(Miroslav Mironov)監督の下で1999年10月17日のFCピリン・ブラゴエヴグラト英語版戦(3-1勝利)で初出場、11月27日のPFCベロエ・スタラ・ザゴラ戦(アウェイ1-1)で試合終了間際に初得点を記録した。その後は、2000年3月11日のPFCヴェルブジュド・キュステンディル戦(1-2敗北)、4月22日のPFCボテフ・プロヴディフ戦(3-2勝利)で得点を挙げ、デビューシーズンは3得点を記録した。

2003年9月27日のFCチェルノモレツ・ブルガス英語版戦(アウェイ5-2勝利)で自身のキャリア初となるハットトリックを含め4得点を挙げる。同2003-04シーズン最終節のPFCナフテックス・ブルガス英語版相手に2得点を挙げ、シーズン合計17得点となったことでストイコ・サカリエフ英語版に並び得点ランキング2位タイとなった。

オフチャ・クペル・スタジアム英語版での6季でリーグ戦172試合46得点を記録した。

ローン生活

アラベス

2006年1月13日にシーズン終了までの期限付き移籍でデポルティーボ・アラベスと契約[2] し、それから1週間後にカンプ・ノウでのFCバルセロナ戦(アウェイ0-2敗北)でリーグ初出場を飾った。出場10試合中先発2試合とアラベスでの生活はベンチで大半を過ごし、クラブを2部降格の危機から救うことが出来ず、シーズン終了に伴い退団した。

レッドスター

2006年6月14日にシーズン終了までの期限付き移籍でセルビア1部レッドスター・ベオグラードと契約した[3]

デュースブルク

2007年5月28日に2007-08シーズン終了までの期限付き移籍でドイツ1部MSVデュースブルクと契約[4]。2008年3月14日のシャルケ04戦(1-2敗北)で初得点、5月4日のバイエル・レバークーゼン戦(3-2勝利)で試合終了間際に決勝点となる自身2得点目を挙げた。デュースブルクではリーグ戦31試合に出場した。

テレク・グロズヌイ

2009年1月6日に移籍金150万ユーロロシア1部FCテレク・グロズヌイに4年契約を締結[5]。2009年3月15日にPFCスパルタク・ナリチクとの開幕戦(1-0勝利)、7月19日にホームのアフマド・アレーナでのFCゼニト・サンクトペテルブルク戦(3-2勝利)で初得点を記録した。

昨季まで主将と務めていたティムル・ジャブライロフ英語版が現役引退をしたため、2010年シーズン開幕前にアナトリー・バイダチニ英語版監督から主将に任命された[6]。2010年5月10日のCSKAモスクワ戦(1-4敗北)で先制点にしてシーズン初得点を挙げ、それから3日後のサトゥルン・ラメンスコーエ戦(2-0勝利)で2アシストを提供した[7]

2011年シーズンは、2011年5月20日に第10節のFCアンジ・マハチカラ戦(1-0勝利)で初得点、8月13日のFCディナモ・モスクワ戦(2-6敗北)で2得点目[8]、11月5日のFCクラスノダール戦(2-0勝利)でムサウェンゴシ・ムグニ英語版の得点をアシストした[9]。自身30歳の誕生日から数日後の12月28日にディナモ・モスクワが獲得に関心を寄せていると報じられた[10]

2012年11月4日にペナルティーキックを決めたアンジ・マハチカラ戦(1-3敗北)でロシア1部通算出場数100試合を達成した。

アムカル・ペルミ

2012年12月19日にFCアムカル・ペルミと3年半契約で合意して移籍した[11]

ルビン・カザン

2014年8月15日、FCルビン・カザンに移籍することが発表された[12]

オレンブルク

2016年8月31日、ロシア・プレミアリーグへの昇格を果たしたFKオレンブルクに加入した[13]。2017年12月29日にオレンブルクを退団し、その翌日に現役引退を発表した[14]

代表

U-21代表を経てA代表で50試合5得点を記録。2011年10月10日、ウェールズ戦前の合宿中に突如としてチームを去り[15][16]、そのまま代表引退をした。

タイトル

クラブ
レッドスター

脚注

  1. ^ "Детско-юношеска школа"
  2. ^ "Благо Георгиев вече е играч на Алавес"
  3. ^ "Georgiev accepts 'Red Star' task"
  4. ^ Благо отиде под наем в Бундеслигата”. 2013年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月28日閲覧。
  5. ^ "OFFICIAL, Georgiev to Terek6" footballpress.net, 2011年9月11日閲覧
  6. ^ "Благо Георгиев стана капитан на Терек"
  7. ^ "Асистенции на Благо при 2:0 за “Терек”"
  8. ^ "Blagoy Georgiev scored in defeat for the Terek loss Dynamo Moscow"
  9. ^ "Терек се справи с Краснодар, Благо с асистенция, Макриев на скамейката"
  10. ^ "СНИМКИ: Благо отпразнува 30, Локо Москва го пожела"
  11. ^ "Благой Георгиев перешел в «Амкар»" sovsport.ru
  12. ^ «Рубин» заявил Благо Георгиева FCルビン・カザン公式ウェブサイト 2014年8月15日付
  13. ^ "Оренбург" заявил бывшего полузащитника "Рубина" Георгиева”. championat.com (2016年8月31日). 2016年9月4日閲覧。
  14. ^ Благо Георгиев: Спирам с футбола, имам нови планове” (ブルガリア語). sportal.bg (2017年12月30日). 2018年6月14日閲覧。
  15. ^ "Благой Георгиев напусна националния отбор"
  16. ^ "И Благой Георгиев напусна потъващия национален отбор"

外部リンク




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