フランツ・ザッハーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フランツ・ザッハーの意味・解説 

フランツ・ザッハー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:25 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
フランツ・ザッハー
1865年に出された広告

フランツ・ザッハー(:Franz Sacher、1816年12月19日 - 1907年3月11日)は、オーストリアの料理人。世界的に有名な菓子ザッハトルテを作成したことで知られる。

生涯

1816年12月19日にオーストリア帝国ウィーンに生まれた。1832年クレメンス・フォン・メッテルニヒに料理人として仕えていたザッハーは、ある日メッテルニヒから「私と貴族の客人のために特別な菓子を作れ」と依頼された。「今夜私に恥をかかせることの無いように」と言われたが生憎その時シェフが病を患ってしまっていたため[1]、急遽見習い2年目でまだ16歳であったザッハーがシェフの職を引き受けた。この時にザッハトルテが誕生した[2]

料理修行を終えたザッハーはプレスブルクに移り住んだ。プレスブルクでレストランの料理長に就いたザッハーは、ブダペストで同系列のレストランで独立。さらにはドナウ川のウィーン・ブダペスト間の蒸気船シェフにも就いた。1848年、ウィーンに帰ったザッハーはヴァイブルクガッセにデリカテッセンを売る店を開店。そこでフランツ・ザッハーのチョコレートトルテ (Schokoladetorte des Franz Sacher)としてザッハトルテを販売、大好評となった。1865年12月5日[3]レオポルトシュタットアスペルンガッセ(Asperngasse)2番地のグラン・ホテル・ドゥ・ルーロップ(Grand Hôtel de l’Europe)へ就き、1871年退職した[4]

ザッハーは1881年に家族とバーデン・バイ・ウィーンへ移り住み、1907年3月11日に死去した[5]。彼はバーデンのヘレーネンタール墓地に家族とともに埋葬されている。

家族

以下はフランツ・ザッハーと妻ローザ・ザッハーの息子である。

脚注

  1. ^ シェフが保養地に行っており不在だったという説もある。
  2. ^ 1814年から1815年にかけて行われたウィーン会議でもてなされたとする説も存在する。また、息子のエドゥアルト・ザッハーがホテル・ザッハーで振舞ったとする説も存在している。しかし前者ではフランツ・ザッハーの生年と合致しない。
  3. ^ Hotel de l’Europe. In: Local-Anzeiger der „Presse“, Beilage zu Nr. 334/1865 (XVIII. Jahrgang), 3. Dezember 1865, S. 9 Mitte. (Online bei ANNO).
  4. ^ (Annonce:) Grand Hotel de l’Europe, Wien, Leopoldstadt. (…) . In: Neues Fremden-Blatt, Morgenblatt, Nr. 226/1871 (VII. Jahrgang), 16. August 1871, S. 5 Mitte. (Online bei ANNO).
  5. ^ Todesanzeige Todesanzeige. In: Badener Zeitung, 13. März 1907, S. 7 (Online bei ANNO)
  6. ^ Local-Nachrichten. (…) Neue Anlagen in Rauhenstein. In: Badener Bezirks-Blatt, Nr. 47/1881 (I. Jahrgang), 19. November 1881, S. 6 Mitte. (Online bei ANNO).
  7. ^ Bettina Nezval: Villen der Kaiserzeit. Sommerresidenzen in Baden. 2., erw. Aufl., Berger, Horn/Wien 2008, ISBN 978-3-85028-476-9, S. 176

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フランツ・ザッハー」の関連用語

フランツ・ザッハーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フランツ・ザッハーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフランツ・ザッハー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS