フランス領時代の教区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 15:54 UTC 版)
「グレナダの行政区画」の記事における「フランス領時代の教区」の解説
教区フランス語名称の意味イギリス領となった後の動向バセテール教区 Basse Terre 低地 1763年にセント・ジョージ教区へ改称。 グラン・マルキ教区 Grand Marquis 大侯爵 フェドン反乱(英語版)(1795年 - 1796年)ではマーキー(英語版)(フランス語読みはマルキ)へ首府を移転。反乱後の1796年にセント・アンドリュー教区へ改称。 グラン・ポーヴル教区 Grand Pauvre 非常に貧しい土地 1763年にセント・マーク教区へ改称。 ランス・ゴヤーヴ教区 L'Anse Goyave グアバの入り江 1763年にセント・ジョン教区へ改称。また中心地のグヤヴェは当時の国王ジョージ3世の王妃シャーロットにちなみシャーロットタウン(Charlotte Town)へ改称したが、まもなく元の名称に戻された。 メグリン教区 Megrin 同名の町が中心地 メグリンの町はフェドン反乱で破壊され、放棄された。現在のセント・デイヴィッド教区。 ソーターズ教区 Sauteurs 飛び降りる者 植民地化の際に追い詰められた先住民族のカリブ族の一団が崖から飛び降り、集団自決した伝説に基づく。1763年にセント・パトリック教区へ改称。
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