フィリオクエ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/07 22:59 UTC 版)
「コルビーのラトラムヌス」の記事における「フィリオクエ」の解説
その後半生において、ラトラムヌスはフォティオスのコンスタンティノープル総主教叙任に関する東西のキリスト教の863年-867年のシスマに応答した。広範にわたる論争が東西の様々な意見不一致に広がり、総主教の叙任、ブルガリアにおける宗教裁判権、そしてニカイア・コンスタンティノポリス信条に対する西方側の「フィリオクエ」の挿入などが問題となった。ラトラムヌスによる西方神学の擁護と「ローマ教会を中傷するギリシア人たちの異議に抗する」ことは概して「フィリオクエ」の証明に占められたが、この仕事の最後の部分はトンスラや聖職者の独身といった他の意見不一致を扱っていた。
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