ファフルッディーン・イラーキーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ファフルッディーン・イラーキーの意味・解説 

ファフルッディーン・イラーキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/30 08:51 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

ファフルッディーン・イブラーヒーム・イラーキーペルシア語: فخرالدین ابراهیم عراقی‎、Fakhr al-dīn Ibrahīm‘Irāqī、1211年 - 1289年)は、イラン神秘主義詩人

生涯

1211年、イラン中西部の町ハマダーンでイラーキーは誕生する[1][2][3]

イラーキーは学者の家の出身で、幼少期から才覚を発揮していた[1]。17歳の時、イラーキーは町を訪れていた神秘主義者の遊行僧の一団に加わっていた少年の美しさに魅了され、郷里を捨てて一行に加わり、この事が彼が神秘主義スーフィズム)に進んだきっかけだといわれている[1]インドムルターンに辿り着いたイラーキーはスフラワルディー教団の開祖バハーウッディーン・ザカリーヤーに25年間師事し、ザカリーヤーの娘を娶る[1]。イラーキーはザカリーヤーから後継者に指名されるが他の弟子たちから妬まれ、ムルターンを出て海路メッカ(マッカ)に向かった[1]

1267年/68年にイラーキーはアナトリア半島ルーム・セルジューク朝の首都コンヤを訪れ、神秘主義者イブン・アラビーの直弟子であるサドルッディーン・クーナウィーから講義を受けた[3]。保護者である貴族ムイーヌッディーンが没した後、イラーキーはコンヤを去ってエジプトのカイロに向かった。カイロではマムルーク朝から厚遇され、その後イラーキーはシリアダマスカスに滞在する。イラーキーはインドでもうけた息子カビールッディーンとダマスカスで再会するが、まもなく病にかかって没し、彼の遺体はイブン・アラビーの墓のそばに埋葬された[4]

作風

頌詩抒情詩、四行詩、叙事詩など約5,900句が収録された『イラーキー詩集』、神秘主義思想について述べた散文『閃光(Kitāb al-lamaāt)』、叙事詩『熱愛者の書/恋人たちの書(‘Ushshaq nāma)』がイラーキーの作品として知られている[5]

イラーキーは情熱的なガザル(抒情詩)で名声を博し[3]、詩集の大半がガザルで占められている[6]。その中でも、イブン・アラビーの思想体系に連なる宇宙生成観、愛をテーマにしたガザルが高い評価を受けている[2]。28の作品からなる『閃光』はイラーキーの主著に数えられており[7]、クーナウィーが論じたイブン・アラビーの『叡智の台座』に衝撃を受けて書いたものだといわれている[3]。『閃光』では愛の理論について述べられているが、その内容は難解であり、15世紀末にティムール朝の詩人ジャーミーによって注釈書が記された[8]

脚注

  1. ^ a b c d e 黒柳『ペルシア文芸思潮』、158頁
  2. ^ a b 松本「イラーキー」『新イスラム事典』、125頁
  3. ^ a b c d 藤井「イラーキー」『岩波イスラーム辞典』、171頁
  4. ^ 黒柳『ペルシア文芸思潮』、158-159頁
  5. ^ 黒柳『ペルシア文芸思潮』、159-161頁
  6. ^ 黒柳『ペルシア文芸思潮』、159頁
  7. ^ 黒柳『ペルシア文芸思潮』、161頁
  8. ^ 黒柳『ペルシア文芸思潮』、161-162頁

参考文献

  • 黒柳恒男『ペルシア文芸思潮』(世界史研究双書, 近藤出版社, 1977年9月)
  • 藤井守男「イラーキー」『岩波イスラーム辞典』収録(岩波書店, 2002年2月)
  • 松本耿郎「イラーキー・ハマダーニー」『新イスラム事典』収録(平凡社, 2002年3月)



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ファフルッディーン・イラーキー」の関連用語

ファフルッディーン・イラーキーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ファフルッディーン・イラーキーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのファフルッディーン・イラーキー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS