ファエスラエでの敗北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 08:05 UTC 版)
「テラモンの戦い」の記事における「ファエスラエでの敗北」の解説
ガリア人はエトルリアを越えローマへと進軍した。ローマ軍はエトルリア国境にあるクルシウムに集結していた。ローマまで3日の距離である。そこで両軍は対峙する事となった。 その夜、ガリア軍は騎兵と篝火を囮に残してファエスラエへと後退し、防御陣地を築いた。次の朝、残された騎兵がこれ見よがしに撤退を始めると、ローマ軍は疑いもせず追撃して誘い込まれ、地の利を得たガリア人は激戦の末勝利した。ローマ側は6000人が戦死し、守りやすい丘へと撤退した。 その夜パピリウスが到着して陣を張るのを見ると、アネロエステスは戦利品を回収してエトルリア海岸沿いに撤退し、機を窺って再戦すべきだと説いた。パピリウスは追撃し、ガリアの後衛を苦しめたものの会戦には至らなかった。もう一人の執政官レグルスはサルディニアから海を渡ってピサへ上陸しローマへと軍を進めていた。彼の斥候はガリア軍の先行する徴収部隊がテラモン(現在のタラモネ)近く、カンポ・レギオと呼ばれる地区まで出張っているのを確認した。
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