ピストン堀口 対 笹崎たけし戦とは? わかりやすく解説

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ピストン堀口 対 笹崎僙戦

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 06:09 UTC 版)

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ピストン堀口 対 笹崎僙 第1戦
世紀の一戦
開催日 1941年5月28日
認定王座 ノンタイトル
開催地 東京
会場 両国国技館

堀口恒男 対 笹崎僙
ピストン 槍の笹崎
比較データ
26 年齢 26
栃木県真岡市 出身地 北海道空知郡歌志内町
戦績
岡本不二不二拳闘クラブ 指導者 渡辺勇次郎(日本拳闘倶楽部)
評価

結果 堀口の6回TKO勝ち(タオル投入)

ピストン堀口 対 笹崎僙戦(ピストンほりぐち たい ささざきたけしせん)は、1941年5月28日に東京両国国技館で行われたプロボクシングの試合である[1]

早大在学中の1933年(18歳)に、元世界フライ級王者で欧州バンタム級現役王者のエミール・プラドネルフランス)と引き分けて以来[2]、国民的英雄となった通称「ピストン堀口」こと堀口恒男(不二拳闘クラブ)と、兵役から復帰後、連勝を26に伸ばした「槍の笹崎」の異名を取る笹崎僙(日本拳闘倶楽部)が対決し、6回TKOで堀口が勝利した[3]

対決が熱望されながらも、日拳会長渡辺勇次郎と不二拳会長岡本不二の、過去の独立騒動の遺恨により実現せずにいたが、郡司信夫が創刊したボクシング・ガゼット誌上において、笹崎が「開かぬ城門、発展を遮断す」の文面で堀口陣営を挑発、堀口が國民新聞紙上で挑戦を受諾し、両会長による手打ち式が行われて実現の運びとなり、「世紀の一戦」と謳われて大きな話題となった[4]

試合中、堀口の攻撃で笹崎の左目が塞がり、兵役中に右目を白内障で失明していたため、試合続行困難とみてタオルが投入された[5]

勝者となった堀口は「剣聖」宮本武蔵になぞらえて「拳聖」と称されるようになった[1]

両雄の対決は、戦後に4度の再戦が行われ、計5試合の通算成績は堀口1勝、笹崎2勝、引き分けが2試合であった。

第2戦

ピストン堀口 対 笹崎僙 第2戦
世紀の一戦の再戦
開催日 1946年7月6日
認定王座 ノンタイトル
開催地 東京
会場 後楽園球場
観衆 2万5千人
主催 日本拳闘株式会社

堀口恒男 対 笹崎僙
拳聖 槍の笹崎
比較データ
31 年齢 31
栃木県真岡市 出身地 北海道空知郡歌志内町
戦績
評価

結果 引き分け

脚注




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