岡本不二
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岡本 不二(おかもと ふじ、1905年7月4日 - 1984年1月4日)は、愛知県名古屋市出身のボクサー。日本ボクシング草創期の強豪。のち不二拳を設立、ピストン堀口の師としても知られる。
経歴
東洋商業学校卒業後、渡辺勇次郎の日本拳闘倶楽部に入門、1924年には同倶楽部主催のフライ級タイトル決定戦に勝ち、フライ級チャンピオンとなる。1926年には靖国神社相撲場での第1回全日本アマチュアボクシング選手権大会フライ級制覇、1928年、アムステルダム五輪にはバンタム級として2回戦から出場したが、初戦で敗退した[1][2]。
その後は日本拳闘倶楽部の師範としてピストン堀口らを育てたが、のちピストンと共に独立、不二拳(現不二ボクシングジム)を設立した。
脚注
- ^ 岡本不二のオリンピック戦績[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. Sports Reference.com
- ^ ボクシング・マガジン編集部 編『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』ベースボール・マガジン社、2002年5月31日、pp. 40。ISBN 978-4-583-03695-3。
関連項目
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