ビュセファラス (競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/07 13:11 UTC 版)
| ビュセファラス | |
|---|---|
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 栗毛 |
| 生誕 | 1764年 |
| 父 | Regulus |
| 母の父 | Partner |
| 生国 | イギリス |
| 生産者 | H・B・オズバルデストン |
| 馬主 | H・B・オズバルデストン ペレグリン・ウェントワース 初代ファーナム伯爵 |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 不明 |
ビュセファラス(Bucephalus)は、18世紀中ごろに活躍したイギリスの競走馬である。
経歴
ヨークシャー州ハンマンビーのハンフリー・ブルック・オズバルデストン (Humphrey Brooke Osbaldeston) によって生産された[1]。デビュー戦に勝利した後、オズバルデストンからペレグリン・ウェントワース (Peregrine Wentworth) へ売却された[1]。
1768年から1773年にかけ競走生活を送っている。1768年のグレートサブスクリプションパース(ヨーク競馬場・4マイル)などに勝ち、当時強豪として知られていた。1770年にエクリプスとのマッチレースを行い、初の敗戦を喫した[1]。負けはしたものの、エクリプスと唯一互角に近い勝負をした馬とされている。
エクリプスに敗れた後はウェントワースから初代ファーナム伯爵へ所有権が移ったが、ニューマーケット競馬場で何度か出走するも勝ち星を挙げられず、オズバルデストンに買い戻された[2]。その後1773年3月に Annual Prize で勝利したのを最後に競走馬を引退した[2]。
引退後は、オズバルデストンの元で種牡馬として供用され、そこそこ成功した。
血統表
| Bucephalusの血統 | (血統表の出典) | |||
| 父系 | (ゴドルフィンアラビアン系) |
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父
Regulus 1739 |
父の父
Godolphin Arabianc.1700 |
(unknown) | ||
| (unknown) | ||||
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父の母
Grey Robinson |
Bald Galloway | St. Victor's Barb | ||
| Grey Whynot | ||||
| Sister to Old Country Wench | Snake | |||
| Grey Wilkes | ||||
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母
Partner mare |
Partner 1718 |
Jigg | Byerley Turk | |
| Charming Jenny | ||||
| Sister to Mixbury | Curwen's Bay Barb | |||
| Spot mare | ||||
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母の母
Smiling Tom mare |
Smiling Tom | Conyers Arabian | ||
| Chillaby mare | ||||
| Almanzor mare | Almanzor | |||
| Sister to Bay Bolton | ||||
出典
- ^ a b c Pick (1805), p. 4.
- ^ a b Pick (1805), p. 5.
参考文献
- 原田俊治「競馬 - 揺籃期のイギリス競馬」『馬の文化叢書』 10巻、財団法人馬事文化財団、1995年、362頁。
- Pick, William (1805). “BUCEPHALUS”. The Turf Register, and Sportsman & Breeder's Stud-Book (英語). Vol. 2. High-Ousegate: A. Bartholoman. pp. 4–5. Google ブックスより2025年9月7日閲覧.
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