ビクトリア州の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 13:46 UTC 版)
「ネッド・ケリー」の記事における「ビクトリア州の状況」の解説
1860年代からビクトリア植民州の北東部に大量の移民が流れ込み、彼らは新たに小農民(セレクタ)として土地に定住して農業生産を行った。しかし、すでにビクトリア州を押さえていた富裕層が土地所有を推し進め、畜産業を拡大させていく一方で、自作農を資本的に支配した。土地の所有を制限され、その上抵当で縛られた大部分の自作農は富裕層への反感を強めた。最も貧困な層では家畜強盗に転落する農民も多かった。富裕層はそのような存在を危険視し、取り締まりに警官を利用する。彼らは家畜を盗んだ者の逮捕を奨励し、逮捕に対する報酬を警官へとばら蒔いた。逮捕に対する報酬は有罪、無罪を問わなかったため、低賃金に苦しんでいた警官たちはこぞってケリー一家のような存在や、貧しい農業労働者を捕まえて収監するようになる。そのような一連の癒着は、小農民たちの富裕層と警察機構に対する反感を育てていった。
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