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ヒロセ元美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/27 07:24 UTC 版)

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ヒロセ もとみ
ヒロセ 元美
本名 廣瀬 元美
生年月日 (1926-04-29) 1926年4月29日(93歳)
出生地 中華民国(北京政府) 上海市
職業 ストリッパー女優
ジャンル ストリップ映画
活動期間 1949年 - 1950年代前半
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ヒロセ 元美(ヒロセ もとみ、1926年4月29日 - )は、日本のストリッパー女優である[1]。本名廣瀬 求美(読み同)[1]

人物・来歴

1926年(大正15年)4月29日中華民国上海市(現在の中華人民共和国上海市)に生まれ、両親の経営する日本料理屋で育つ[1]。1946年(昭和21年)、日本に帰国する。

1949年(昭和24年)、ダンサーとしてデビュー、翌1950年(昭和25年)、日劇小劇場(のちの日劇ミュージックホール)のストリップショーに出演する[1]。同年2月、「わいせつ物陳列罪」(わいせつ物頒布等の罪)で検察庁に送られ、「劣情を催すかどうかは見る人の勝手」と主張して、不起訴処分となる[1]

人気絶頂の同年、新東宝が製作・配給した『青春のデカメロン』を初めとして、4本の映画に出演した。作家の坂口安吾も、1950年(昭和25年)8月1日発行の『文藝春秋』に掲載された『安吾巷談 ストリップ罵倒』で、ダンサーのなかでもヒロセに注目している[2]

フィルモグラフィ

  • 『青春のデカメロン』 : 監督加戸野五郎、製作・配給新東宝、1950年5月9日公開
  • 『裸の天使』 : 監督中川順夫、製作シネアート、配給松竹、1950年8月12日公開
  • 『わたしは女性No.1』 : 監督中村敏郎、製作日本映画社、配給東京映画配給、1950年9月30日公開
  • 『ストリップ東京』 : 監督・脚本大谷俊夫、製作銀星プロダクション/東宝芸能、配給東京映画配給、1950年10月28日公開

脚注

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  1. ^ a b c d e ヒロセ元美、デジタル版 日本人名大辞典+Plus, コトバンク、2012年4月18日閲覧。
  2. ^ 安吾巷談 ストリップ罵倒坂口安吾青空文庫、2012年4月18日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク




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