バーベンベルク家前史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 03:50 UTC 版)
「バーベンベルク家」の記事における「バーベンベルク家前史」の解説
バーベンベルク家は、フランス王家であるカペー家の祖でもあるロベール(ロベール家)を遠祖とする。 最も古く歴史に残っているのは、9世紀初めに現在のヘッセン州とテューリンゲン州の間の地域を支配したグラープフェルト伯のポッポ(Poppo I)である。ポッポの息子のハインリヒ(Heinrich I)は、東フランケン公にして辺境伯と言われ、娘とみられるハトヴィヒはザクセン公オットー1世と結婚し、後のドイツ王ハインリヒ1世を産んだ。ハインリヒは886年にノルマン人との戦いで戦死した。同じく息子のポッポ(テューリンゲンのポッポ; Poppo II)は880年から892年までテューリンゲン辺境伯に任じられていたが、ドイツのカロリング朝の東フランク王アルヌルフが自身の姻戚にあたり、バーベンベルク家のライバルであったラーンガウ伯コンラディン家(コンラート家)を支持したため衰退した。 バーベンベルク家はハインリヒ公の3人の息子たちにより、マイン川上流域のバンベルクに城を築いたことで家名とした。バンベルク市は、バーベンベルク家の古い城を囲んでつくられたのである。
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