バングラデシュ臨時政府とは? わかりやすく解説

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バングラデシュ臨時政府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/31 03:50 UTC 版)

バングラデシュ人民共和国臨時政府
অস্থায়ী বাংলাদেশ সরকার
1971年 - 1972年
国旗 国章
国歌: আমার সোনার বাংলা(ベンガル語)
我が黄金のベンガルよ

臨時政府が領有権を主張する地域
言語 ベンガル語
首都 ダッカ
(主張)

ムジブナガル英語版

カルカッタ
(亡命首都)
大統領
1971年 - 1972年 ムジブル・ラフマン
1971年 - 1972年 サイド・ナズルル・イスラム(暫定)
首相
1971年 - 1972年 タジュディン・アフマド英語版
面積
合計 148,460km²
変遷
結成 1971年4月10日
廃止 1972年1月12日
通貨 タカ
現在 バングラデシュ

バングラデシュ臨時政府(バングラデシュりんじせいふ、ベンガル語: অস্থায়ী বাংলাদেশ সরকারムジブナガル政府ベンガル語: মুজিবনগর সরকার、又はバングラデシュ亡命政府とも、Provisional_Government_of_Bangladesh)は、東パキスタンの独立宣言に続いて設立された臨時政府である。

解説

1971年3月から、パキスタン軍サーチライト作戦英語版によって東パキスタンの住民を弾圧すると、選挙で選ばれた東パキスタンの指導者らが独立を宣言し、インド政府の援助を受けて臨時政府を樹立した。そして4月17日に、ムジブナガル英語版にて宣誓を行った。本来の大統領はムジブル・ラフマンであるが、 3月25日に逮捕されたため、サイド・ナズルル・イスラムが実質的な大統領を務めていた。ムジブル・ラフマンは逮捕前、ラジオメッセージにてバングラデシュの独立を放送した[1]

この最中に勃発していたバングラデシュ独立戦争では、アメリカ合衆国インドの支援を受けて勝利し、12月16日パキスタンは降伏した。翌年1972年1月12日に、バングラデシュの独立に伴い、臨時政府は廃止された。

脚注

  1. ^ Karim 2005, p. 204.

出典

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