バプテスト教会の分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/18 09:30 UTC 版)
「ジョン・スミス (バプテスト牧師)」の記事における「バプテスト教会の分裂」の解説
スミスはバプテスマの確信を1609年の時点ではもっていたが、やがて彼はバプテスマを行ったことを後悔し、自らのスタンスを全て放棄してしまう。聖書にもとづく正しい教会は、スミスと信徒たちがオランダに逃避した際に世話になった、メノナイト・ウォーターランド派教会なのであって、スミスが自分自身や信徒たちにバプテスマを授けたのは大きな間違いであった、という主張を、彼はし始めるに至った。そして1610年、スミスはバプテスト教会を分裂させてしまい、スミスと一部の信徒たちのグループは希望どおり、メノナイト教会に吸収合併された。この事件をきっかけに、バプテスト教会内でスミスのグループとトマス・ヘルウィス(Thomas Helwys)の率いるグループとの間に分裂が引き起こされ、トマス・ヘルウィスに従ったグループはその後、ジェネラル・バプテストとしてバプテスト教会を発展させていくことになった。
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