ハイメ・アジョビとは? わかりやすく解説

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ハイメ・アジョビ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 02:58 UTC 版)

ハイメ・アジョビ
名前
本名 ハイメ・ハビエル・アジョビ・コロソ
ラテン文字 Jaime Ayoví
基本情報
国籍 エクアドル
生年月日 (1988-02-21) 1988年2月21日(37歳)
出身地 エスメラルダス県エロイ・アルファソ
身長 186cm
体重 81kg
選手情報
在籍チーム インデペンディエンテ・デル・バジェ
ポジション FW(CF)
背番号 18
利き足 両足
ユース
2004-2005 パラディン
2005 ESPOL(loan)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2010 エメレク 75 (26)
2009 マンタ(loan) 34 (7)
2011 トルーカ 12 (5)
2011-2013 パチューカ 33 (8)
2012-2013 アル・ナスル(loan) 15 (8)
2013-2015 ティフアナ 8 (1)
2013 LDUキト(loan) 15 (8)
2014 ゴドイ・クルス(loan) 13 (9)
2015-2016 ゴドイ・クルス 59 (26)
2017-2018 北京人和 35 (21)
2018-2020 アル・アハリ 21 (12)
2020 グアヤキル・シティ 8 (0)
2020 ポルトビエホ 9 (0)
2021 オルメド 13 (8)
2021 エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ 17 (1)
2022- インデペンディエンテ・デル・バジェ 15 (2)
代表歴2
2010-2016  エクアドル 40 (10)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年7月18日現在。
2. 2018年4月19日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ハイメ・ハビエル・アジョビ・コロソスペイン語: Jaime Javier Ayoví Corozoスペイン語発音: [ˈxaime aʝoˈβi]1988年2月21日 - )は、エクアドルのサッカー選手。元エクアドル代表。ポジションはFW

経歴

クラブ

2005年、CDパラディンに所属していた時にいとこのワルテル・アジョビのすすめでCSエメレクのトライアウトに参加[1]。ここで好印象を残し18歳で4年契約を結び選手となった。この頃はその体格の良さにも関わらず、ボール捌きとスピードに長けている事、そして本人が中央よりもサイドを好んだ事から、センターフォワードではなくウィンガーとして活躍していた。その後2009年に出場機会を求めてマンタFCに期限付き移籍、32試合7得点の結果を残した。しかしエメレクのフロントは彼をもう1シーズン期限付き移籍に出そうと画策していたが、新監督のホルヘ・サンパオリが彼の動画を見てメンバーに欲しいと言ったため、エルナン・ペイローネの控えではあったものの無事エメレクに復帰した。2010シーズンが始まるとペイローネをすぐにベンチに追いやってレギュラーの座を掴んだ。

2011年にリーガMXデポルティーボ・トルーカFCに3年契約で移籍[2]。出場2試合目で初得点を記録する好調な出だしとなった。この好調さにCFパチューカが目をつけて僅か半年で同クラブに移籍。6月31日に初得点を決めたが、その後は伸び悩みサウジ・プロフェッショナルリーグアル・ナスルへ期限付き移籍する事となった。2012年9月29日にサウジ・プロフェッショナルリーグ初得点を記録し、1試合2得点も2回決めたが、全治8ヶ月の重傷を負ったために期限付き移籍は途中で打ち切られた。

2013年の初めにクラブ・ティフアナに移籍、怪我からの完全回復のために即座にLDUキトに1シーズンの期限付き移籍となった。LDUキトでは背番号11番を与えられ、8月17日に初得点を記録した。2014年初めにティフアナに復帰すると、3月7日にティフアナで初得点をあげた[3]。しかし7月17日に構想外を告げられた[4][5]。このため8月14日にCDゴドイ・クルス・アントニオ・トンバに半年の期限付き移籍となった[6][7]。その後ゴドイ・クルスに完全移籍した。

2017年2月20日に中国サッカー・甲級リーグ北京人和足球倶楽部に移籍[8]

代表

エクアドル代表監督がレイナルド・ルエダに代わると代表に招集されるようになり、2010年9月4日のメキシコ代表戦で初出場、この試合で初得点も決めた。

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 40試合 10得点(2010年-2016年)[9]


エクアドル代表 国際Aマッチ
出場 得点
2010 4 1
2011 13 4
2012 7 3
2013 4 1
2014 2 0
2015 3 0
2016 7 1
通算 40 10

得点

# 日附 場所 対戦相手 得点 結果 大会
1. 2010年9月4日 グアダラハラエスタディオ・オムニライフ  メキシコ 2–1 2–1 親善試合
2. 2011年9月2日 キトエスタディオ・オリンピコ・アタウアルパ  ジャマイカ 1–0 5–2
3. 2011年9月6日  コスタリカ 2–0 4–0
4. 2011年10月7日  ベネズエラ 1–0 2–0 2014 FIFAワールドカップ・南米予選
5. 2011年10月12日 ニュージャージー州ハリソンレッドブル・アリーナ  アメリカ合衆国 1–0 1–0 親善試合
6. 2012年2月29日 グアヤキル・エスタディオ・ゲオルゲ・カプウェル  ホンジュラス 1–0 2–0
7. 2–0
8. 2012年8月15日 ニューヨークシティ・フィールド  チリ 2–0 3–0
9. 2013年11月19日 ヒューストンBBVAコンパス・スタジアム  ホンジュラス 1–0 2–2
10. 2016年6月12日 ニュージャージー州イーストラザフォードメットライフ・スタジアム  ハイチ 2–0 4–0 コパ・アメリカ・センテナリオ

タイトル

  • セリエA最優秀選手賞: 2010
  • セリエA得点王: 2010

出典

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