ヌリア・リャゴステラ・ビベスとは? わかりやすく解説

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ヌリア・リャゴステラ・ビベス

(ヌリア・リャゴステーラ・ビーベス から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/25 14:43 UTC 版)

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はリャゴステラ第二姓(母方の)はビベスです。
ヌリア・リャゴステラ・ビベス
Nuria Llagostera Vives
ヌリア・リャゴステラ・ビベス
基本情報
国籍 スペイン
出身地 バレアレス諸島州マヨルカ島
パルマ・デ・マヨルカ
居住地 カタルーニャ州バルセロナ
生年月日 (1980-05-16) 1980年5月16日(38歳)
身長 156cm
体重 53kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1996年
引退年 2013年
ツアー通算 18勝
シングルス 2勝
ダブルス 16勝
生涯通算成績 662勝482敗
シングルス 364勝282敗
ダブルス 298勝200敗
生涯獲得賞金 $2,636,375
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(2001)
全仏 4回戦(2005)
全英 2回戦(2004)
全米 1回戦(2001・04・05・08-11)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト8(2009)
全仏 ベスト4(2010・12)
全英 ベスト8(2008・09・11・12)
全米 ベスト4(2012)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 35位(2005年6月5日)
ダブルス 5位(2009年11月2日)

ヌリア・リャゴステラ・ビベスNuria Llagostera Vives, 1980年5月16日 - )は、スペインパルマ・デ・マヨルカ出身の女子プロテニス選手。WTAツアーでシングルス2勝、ダブルス16勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス35位、ダブルス5位。身長156cm、体重53kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

来歴

1996年にプロに転向。2001年全豪オープンで予選を勝ち上がり4大大会に初出場し、キム・クライシュテルスとの3回戦まで進出した。全仏オープンでも3回戦まで進出したがその後は長く低迷が続いた。

2005年5月のSARラ・プリンセス・ラーラ・メリヤム・グランプリで初めてのツアー決勝に進出し鄭潔を 6–4, 6–2 で破りツアー初優勝を果たす。全仏オープンでは1回戦で第23シードの杉山愛を 6-3, 4-6, 6-4 、3回戦では第13シードのナタリー・ドシーを 7-6 (1), 6-3 で破り4大大会シングルス最高成績の4回戦に進出した。4回戦では第2シードのマリア・シャラポワに 2-6, 3-6 で敗れた。大会終了後のランキングで自己最高のシングルス35位を記録している。

2005年から女子国別対抗戦フェドカップの代表に選ばれ、1回戦でアルゼンチンのヒセラ・ドゥルコを 6-4, 4-6, 6-3 で破り2勝2敗で迎えた最終戦のダブルスでもアナベル・メディナ・ガリゲスと組みヒセラ・ドゥルコ&マリア・エミリア・サレルニ組を 6-4, 6-4 で破り通算成績3勝2敗で勝利した。準決勝のフランス戦ではマリー・ピエルスに 4-6, 4-6、アメリ・モレスモに 3-6, 1-6 で敗れ通算1勝3敗で敗退した。2008年の中国とのフェドカップ準決勝ではシングルスで鄭潔を 6-4, 6-3 、彭帥を 6-4, 6-4 で破りダブルスと合わせて3勝を挙げスペインの勝利に貢献した[1]。決勝でスペインはロシアに0勝4敗で敗れ準優勝に終わった。

2008年からはマリア・ホセ・マルティネス・サンチェスと組みダブルスで活躍する。2008年全仏オープン2008年ウィンブルドン選手権でベスト8、2009年は全仏オープン以外の3大会でベスト8に進出し、最終戦のWTAツアー選手権にも出場し初戦でビーナス・ウィリアムズ&セリーナ・ウィリアムズ組を 2-6, 6-4, [10-8] で破り決勝に進出。決勝ではカーラ・ブラック&リーゼル・フーバー組を 7-6(0), 5-7, [10-7] で破り優勝し初めてのビックタイトルを獲得した。

リャゴステラ・ビベスはオリンピックスペイン代表として、2008年北京五輪2012年ロンドン五輪の2大会に出場している。北京五輪ではシングルス1回戦でチェコのクララ・ザコパロバを 2-6, 6-3, 7-5 で破り初戦を突破し、2回戦で中国の鄭潔に 7-6(7), 1-6, 4-6 で敗れた。マルティネス・サンチェスとのダブルスでは1回戦でロシアのエレーナ・ベスニナ&ベラ・ズボナレワ組に 6-2, 1-6, 3-6 で敗れた。ロンドン五輪ではマルティネス・サンチェスと組んだダブルス1回戦でオーストラリアのケーシー・デラクア&サマンサ・ストーサー組を 6-1, 6-1 で破ったが、2回戦で中国の彭帥&鄭潔組に 2-6, 4-6 で敗れた。

リャゴステラ・ビベスは2012年からダブルスに専念している。2013年7月の大会でのドーピング検査で禁止薬物のメタンフェタミンが検出され2年間の出場停止処分を受け[2]、現役引退を発表した[3]

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 3回 (2勝1敗)

大会グレード
グランドスラム (0–0)
ティア I (0–0)
ティア II (0–0)
ティア III (1–1)
ティア IV & V (1–0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2005年5月8日 ラバト クレー 鄭潔 6–4, 6–2
準優勝 1. 2005年9月26日 広州 ハード 晏紫 4–6, 0–4 途中棄権
優勝 2. 2008年2月24日 ボゴタ クレー マリア・エミリア・サレルニ 6–0, 6–4

ダブルス: 27回 (16勝11敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2004年8月14日 ソポト クレー マルタ・マレーロ クラウディア・ヤンス
アリシア・ロソルスカ
6–4, 6–3
準優勝 1. 2004年10月3日 ハッセルト ハード
(室内)
マルタ・マレーロ マラ・サンタンジェロ
ジェニファー・ラッセル
3–6, 5–7
準優勝 2. 2005年5月8日 ラバト クレー ルルド・ドミンゲス・リノ エミリー・ロワ
バルボラ・ザフラボバ・ストリコバ
6–3, 6–7(6), 5–7
準優勝 3. 2005年6月18日 スヘルトーヘンボス イベタ・ベネソバ ディナラ・サフィナ
アナベル・メディナ・ガリゲス
4–6, 6–2, 6–7(11)
優勝 2. 2005年9月25日 北京 クレー マリア・ベント=カブチ 晏紫
鄭潔
6–2, 6–4
優勝 3. 2007年6月14日 バルセロナ クレー アランチャ・パラ・サントンハ ルルド・ドミンゲス・リノ
フラビア・ペンネッタ
7–6(3), 2–6, [12–10]
優勝 4. 2008年3月1日 アカプルコ クレー マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス イベタ・ベネソバ
ペトラ・チェトコフスカ
6–2, 6–4
準優勝 4. 2008年5月11日 ベルリン クレー マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス カーラ・ブラック
リーゼル・フーバー
6–3, 2–6, [2–10]
準優勝 5. 2008年6月14日 バルセロナ クレー マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス ルルド・ドミンゲス・リノ
アランチャ・パラ・サントンハ
6–4, 5–7, [4–10]
優勝 5. 2008年7月13日 パレルモ クレー サラ・エラニ アーラ・クドゥリャフツェワ
アナスタシア・パブリュチェンコワ
2–6, 7–6(1), [10–4]
準優勝 6. 2009年1月5日 オークランド ハード アランチャ・パラ・サントンハ ナタリー・ドシー
マラ・サンタンジェロ
6–4, 6–7(3), [10–12]
優勝 6. 2009年2月22日 ボゴタ クレー マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス フラビア・ペンネッタ
ヒセラ・ドゥルコ
7–5, 3–6, [10–7]
優勝 7. 2009年2月28日 アカプルコ クレー マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス ルルド・ドミンゲス・リノ
アランチャ・パラ・サントンハ
6–4, 6–2
優勝 8. 2009年4月19日 バルセロナ クレー マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス ソラナ・チルステア
アンドレヤ・クレパーチ
3–6, 6–2, [10–8]
準優勝 7. 2009年7月11日 ボースタード クレー マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス フラビア・ペンネッタ
ヒセラ・ドゥルコ
2–6, 6–0, [5–10]
優勝 9. 2009年7月17日 パレルモ クレー マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス マリヤ・コリツェワ
ダリヤ・クツォワ
6–1, 6–2
準優勝 8. 2009年8月16日 シンシナティ ハード マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス カーラ・ブラック
リーゼル・フーバー
3–6, 6–0, [2–10]
優勝 10. 2009年8月23日 トロント ハード マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス サマンサ・ストーサー
レネ・スタブス
2–6, 7–5, [11–9]
優勝 11. 2009年8月29日 ニューヘイブン ハード マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス イベタ・ベネソバ
ルーシー・ハラデツカ
6–2, 7–5
優勝 12. 2009年11月1日 ドーハ ハード マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス カーラ・ブラック
リーゼル・フーバー
7–6(0), 5–7, [10–7]
優勝 13. 2010年2月20日 ドバイ ハード マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス クベタ・ペシュケ
カタリナ・スレボトニク
7–6(5), 6–4
準優勝 9. 2010年5月8日 ローマ クレー マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス フラビア・ペンネッタ
ヒセラ・ドゥルコ
4–6, 2–6
優勝 14. 2011年4月9日 マルベーリャ クレー アランチャ・パラ・サントンハ サラ・エラニ
ロベルタ・ビンチ
3–6, 6–4, [10–5]
準優勝 10. 2011年7月9日 ボースタード クレー アランチャ・パラ・サントンハ ルルド・ドミンゲス・リノ
マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス
3–6, 3–6
優勝 15. 2012年1月7日 ブリスベン ハード アランチャ・パラ・サントンハ ラケル・コップス=ジョーンズ
アビゲイル・スピアーズ
7–6(2), 7–6(2)
優勝 16. 2012年6月23日 イーストボーン マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス リーゼル・フーバー
リサ・レイモンド
6–4, 途中棄権
準優勝 11. 2012年10月6日 北京 ハード サニア・ミルザ エカテリーナ・マカロワ
エレーナ・ベスニナ
5–7, 5–7

4大大会シングルス成績

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 通算成績
全豪オープン LQ 3R 2R 1R LQ 1R 1R A LQ 1R LQ LQ 3–6
全仏オープン LQ 3R 1R A LQ 4R A 2R 1R 1R 1R 3R 8–8
ウィンブルドン A 1R A A 2R 1R A A 1R 1R 1R LQ 1–6
全米オープン LQ 1R LQ LQ 1R 1R A LQ 1R 1R 1R 1R 0–7

脚注

外部リンク




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