ニコラス・タルコフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 美術家 > 画家 > フランスの画家 > ニコラス・タルコフの意味・解説 

ニコラス・タルコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/28 08:17 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
Николай Тархов, 1921

ニコラス・タルコフNicolas Tarkhoffロシア語: Николай Александрович Тархов ニカラーイ・アリクサーンドラヴィチ・タルホーフ1871年1月20日 - 1930年6月5日)はロシア出身で主にフランスで活動した画家

生涯

モスクワの裕福な商家に生まれる。1894年にモスクワ絵画・彫刻・建築学校を受験し失敗。絵の勉強は独学で続けることとなる。1897年に、印象派の紹介に努めていたコンスタンチン・コロヴィンと出会い多大な影響を受ける。ロシアでは「芸術世界」に参加し1899年に出品するが、コロヴィンと出会ってから度々パリを訪れ、1900年からは本格的に移住して活動の本拠とした。以降、アンデパンダン展に毎回のように出品するとともに、サロン・ドートンヌフランス語版にもごく初期から参加し、セルゲイ・ディアギレフギヨーム・アポリネールとも交流を持った。1906年にはアンブロワーズ・ヴォラールの画廊で、1909年にはドリュエ画廊で個展を開く一方で、「芸術世界」「金羊毛」「ロシア美術家連盟」といった組織によるロシアでの展覧会でも作品が紹介されている。1911年オルセーに家を購入して落ち着いたことから、美術界の主流から少しずつ離れるようになる。その後も展覧会への出品は細々と続けてはいたが、1930年に咽頭癌で没する。

1905年にパリのロシア人コロニー出身の女性と結婚し、翌年生まれた長女をはじめとして三人の子供を授かった。

作風

初期の作品には印象派とともにセザンヌ新印象派の影響も認められる。しかし、1905年に出現したフォーヴィスムと強く同調し、強烈な色彩と力強いタッチが画面を彩るようになる。初期には風景や静物が多かった主題も、結婚しオルセーに移ってからは家族を対象にしたものが増えるようになった。

代表作

  • 『サン=ドニ門』(1901年、プチ・パレ美術館)
  • 『太陽と虹』(1905年、プチ・パレ美術館)




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ニコラス・タルコフ」の関連用語

ニコラス・タルコフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ニコラス・タルコフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのニコラス・タルコフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS