ナイーナ・エリツィナとは? わかりやすく解説

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ナイーナ・エリツィナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/24 16:59 UTC 版)

ナイーナ・エリツィナ(2011年2月撮影)
エリツィン夫妻(2006年2月1日、エリツィンの75歳の誕生日のスナップ)

ナイーナ・ヨシフォヴナ・エリツィナロシア語: Анастаси́я (Наи́на) Ио́сифовна Е́льцина、ラテン文字表記の例:Naina Iosifovna Yeltsina1932年3月14日 - )は、ロシア連邦大統領ボリス・エリツィン夫人。旧姓はギーリナГи́ринаGirina)。ロシア語では通常男性と女性で姓の語尾が異なるが(文法上のによる変化)、それを反映せずにナイーナ・エリツィンとする記述もある。

概要

1932年オレンブルク州チトフカ村に生まれる。両親は正教古儀式派の富裕な信徒であった[1]1955年スヴェルドロフスクウラル工科大学建築学部を卒業する。在学中に夫となるボリス・エリツィンに出会う。大学卒業後、さまざまなプロジェクトに関係した仕事に就く。その後、1956年エリツィンと結婚した。2人の間には、1957年生まれのイリーナと1959年生まれのタチアナの二女がいる。

ナイーナ夫人は公的な場所には出ることは少なかった。それでも、大統領となったエリツィンとともに1997年スウェーデン[2]フィンランド[3]および1999年中国[4]を訪問している。概して、エリツィン大統領の家族を中心とする側近グループ(セミヤー)の中にあって、ナイーナ夫人は、政治に干渉することは無かった。しかし、エリツィンが再選を賭けた1996年ロシア大統領選挙においては、夫を助け選挙戦に臨み、メディアに姿を現した[5]2007年4月23日エリツィンが亡くなる。4月25日モスクワ救世主ハリストス大聖堂で営まれた国葬に参列し、亡夫を送った。

脚注

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