ドイツ民主共和国の国旗
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制定日 | 1959年10月1日-1990年10月3日 |
ドイツ民主共和国の国旗(ドイツみんしゅきょうわこくのこっき)は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の国旗。ドイツ連邦共和国の国旗と同じく黒・赤・金の三色旗であるが、中央の紋章の有無が異なる。1990年のドイツ再統一に伴い、廃止された。
第二次世界大戦後、ドイツは東西に分割占領された。1948年3月、ソ連占領地区のベルリンにおいて、東西ドイツ各地からの代表を集めてドイツ社会主義統一党(SED)主導の下で新しいドイツ国家の国の形や憲法を検討する第二回ドイツ人民会議が開催された。この会議では国旗案も検討され、赤一色の旗、ヴァイマル共和政期の黒・赤・金の旗、ドイツ帝国時代の黒・白・赤の旗が候補にあげられた。会議参加者の多数意見はナチス・ドイツ以前の黒赤金の国旗が望ましいというものだったが、ソ連占領当局者の間ではヴァイマル共和政は政治的・経済的危機を解決できずにナチス台頭を許した弱い国家という見方が強く、独ソ戦期にソ連主導下でドイツ人捕虜らが結成した自由ドイツ国民委員会も使っていた黒白赤の旗とすることが検討された[1]。
しかし第三回ドイツ人民会議では東ベルリン市長のフリードリヒ・エーベルトが黒赤金の国旗にすることを強く主張し、結局この意見が通った。1949年10月にソビエト占領地区が分断国家として独立する際に、西側と同じくワイマール共和国時代の黒・赤・金の三色旗が採用された[2]。1959年10月に中央に紋章が追加された[3]。
大統領旗等
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ドイツ民主共和国大統領旗 (1951–1953)
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ドイツ民主共和国大統領旗 (1953-1955)
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ドイツ民主共和国大統領旗 (1955-1960)
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ドイツ民主共和国国家評議会議長旗 (1960-1990)
軍旗等
その他の機関
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エルンスト・テールマン・ピオネール旗
脚注
- ^ “Finding the last emblems of the German Democratic Republic in Berlin” (英語) (2017年9月6日). 2021年4月9日閲覧。
- ^ “Constitution of the German Democratic Republic” (ドイツ語). documentArchiv.de (1949年10月7日). 2008年2月24日閲覧。
- ^ Government of the German Democratic Republic (1959年10月1日). “Gesetz zur Änderung des Gesetzes über das Staatswappen und die Staatsflagge der Deutschen Demokratischen Republik” (ドイツ語). documentArchiv.de. 2008年2月24日閲覧。
関連項目
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