トークンRJ02とは? わかりやすく解説

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トークン・RJ02

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/14 16:59 UTC 版)

トークン・RJ02
コンストラクター トークン
デザイナー レイ・ジェソップ
主要諸元
シャシー アルミニウムモノコック
トレッド 前:1,575 mm (62.0 in)
後:1,575 mm (62.0 in)
ホイールベース 2464 mm
エンジン コスワースDFV 3.0リッター V型8気筒 NA
トランスミッション ヒューランド DG 300 5速 マニュアル
重量 585 kg (1,290 lb)
燃料 シェル
タイヤ ファイアストン
主要成績
出走
4 (3 Start)
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トークン・RJ02 (Token RJ02) は、トークン1974年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。レイ・ジェソップが設計した。

概要

当初のカラーリングはチーム、スポンサー、ドライバーとイギリスの組み合わせを表すため、ジム・クラークのロータス同様にナショナルカラーの緑と黄色であった。トム・プライスが初めてドライブしたのは4月にシルバーストンで行われたインターナショナル・トロフィーであったが、15周目にギアセレクターのトラブルでリタイアとなった。実際のデビュー戦はベルギーグランプリであった。しかしレース序盤にノーズを損傷し、最終的にリタイアした。

スポンサー契約が難航し、次に参戦したのはイギリスグランプリであった。ここでのカラーリングは白のボディにウィングは赤と変更されていた。ドライバーはデビッド・パーレイに代わったが、予選落ちとなった。ドイツグランプリではイアン・アシュレイがドライブ、1周遅れの14位でフィニッシュした。続くオーストリアグランプリは8周遅れで規定周回数不足となった。スポンサー契約が成立せず予算不足のためこのレースがRJ02の最後のレースとなった。

その後マシンはサフィール・エンジニアリングに売却された。1975年にサフィールはトニー・トリマーを起用してRJ02でレース・オブ・チャンピオンズとインターナショナル・トロフィーに参戦、それぞれ12位と14位でフィニッシュしている。

F1における全成績

(key) (太字ポールポジション

シャシー エンジン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ポイント 順位
1974年 トークン・RJ02 フォード コスワースDFV 3.0 V8 F ARG
BRA
RSA
ESP
BEL
MON
SWE
NED
FRA
GBR
GER
AUT
ITA
CAN
USA
0 NC
42 トム・プライス Ret
デビッド・パーレイ DNQ
32 イアン・アシュレイ 14
35 NC

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