トレッサ・プリスブリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 05:14 UTC 版)
「プリスブリーおばあちゃんのボトルヴィレッジ」の記事における「トレッサ・プリスブリー」の解説
トレッサ・プリスブリー・ルエラ・シェーファーは1896年にミネソタ州イーストンで生まれた。トレッサは12歳まで学校に通い、ノースダコタ州で主に政治を勉強した。15歳の時にはトレッサは姉の前夫で37歳年上のセオドア・グリノルズと結婚した。セオドアとの結婚生活は14年しか続かなかったが、その間に7人の子供をもうけた。72歳でセオドアが亡くなった後、トレッサは7人の子供たちとシアトルに移住し、無職の男性と結婚したが、その結婚生活はとても短いうちに終わった。トレッサの7人の子供のうち、男4人、女2人の計6人はトレッサが存命中に亡くなってしまった。 1956年、トレッサはアル・プリスブリーと出会って結婚した。この頃、60歳でボトルヴィレッジの建設を始めた。1961年には村はおおむね出来上がっていたが、トレッサは1980年代まで構造物を追加したり、手を加えたりしていた。トレッサは1972年に引っ越したが、その後、村のそばのトレーラーに戻って暮らし、彫刻や花のプランターを付け加え続けた。 1982年、体調を崩したトレッサはシミバレーを離れ、サンフランシスコにいる娘と義理の息子と共に暮らすようになった。そして1986年7月、この土地はボトルヴィレッジ保全委員会に贈与された。1988年10月、トレッサは脳卒中の合併症により、サンフランシスコの療養病院で死去した。
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