トゥパク・アマル即位前の「ビルカバンバのインカ帝国」
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「トゥパク・アマル (初代)」の記事における「トゥパク・アマル即位前の「ビルカバンバのインカ帝国」」の解説
トゥパク・アマルの父、マンコ・インカ・ユパンキは皇帝アタワルパの兄弟(一説に、マンコ・インカ・ユパンキはアタワルパの兄弟ではなく、下級貴族出身とも)だが、インカ帝国の内戦の際にアタワルパと対立したため、征服ののちピサロの傀儡としてインカ皇帝に擁立された。しかし、やがてマンコ・インカはピサロと対立し、1536年にクスコから脱走して反乱を起こした。反乱軍は先住民の大軍でクスコを包囲し、スペイン人を追いつめるが、やがて形勢は逆転し、撃退されて後退した。しかし、彼らが逃げ込んだウルバンバ川の奥地ビルカバンバは非常に峻険な地形であり、スペイン軍は容易に近づけなかった。そのため、彼らはその後約35年に渡ってこの地に独立した王国を維持し続けた。この間、スペイン勢力は宣教師を派遣して彼らの帰順を促したがうまくいかず、逆にピサロ一族とディエゴ・デ・アルマグロの、スペイン人同士の内乱に付け入って、アルマグロ派に接近することによって彼らは独立を維持し続けた。
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